5月3日

2015年4月30日
野村芳太郎監督の「張り込み」を観てから、一度も原作者の小説を読んだことがなかったので、「松本清張の本で好きそうな本持ってないかな?」と妻に訊いた。
本棚から「多分好きだと思う」と二冊出してくれた。
一冊は「或る『小倉日記』伝」、「父系の指」などが収められている短編集でそれから読みはじめた。もう一冊はまだ読んでいない。作中の人物を覆う焦燥感はダイレクトに突刺さり、自分自身の姿を重ねて見ているようで「ああ、これは俺だ」という気分になった。「或る『小倉日記』伝」の主人公が「こんなことをして何になるのか」「ひどく無駄なものに力をそそいでいたのではないか」と孤独の谷間で思い悩む姿は、やはりそこに自分自身を見た気分だった。
2015年5月3日
午後、磯子まで足を伸ばした。磯子駅、根岸駅の中間ほどの所に浜センターという小さな商店街がありそこを覗いた。狭い路地に果物や生花のいい香りが漂っていた。
交差点の案内標識の上に黒い小鳥が二羽とまってヒーヒー鳴いていた。同じリズムを繰り返しているので横断歩道でスピーカーから流れる音声かと勘違いした。
根岸駅に行き、横浜乗り換え白楽駅へ行く。駅降りてすぐに六角橋商店街があり、そこをふらふら歩いた。商店街を下り大きい道が左右に走っており、その道を向こうに渡り何本か路地を歩いた。
ニュースで遊園地のゴンドラが落下した。小豆島で殺人事件が起こっていた。
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by koyamamasayoshi
| 2015-05-06 00:21
| 日記
4月28日

新宿に出て「ヴァラドン、ユトリロ展」を観に行く。建物の佇まい、壁のしみや汚れを執拗に捉えようと描いているユトリロの中期の作品が好きだった。その時期を「白の時代」と言うらしい。風景を見る「眼差し」があり、その風景に対する愛情を感じた。しかし後年の作品は正直良くないと思えた。画面に描かれている人物は人形のように「趣味的」に描かれおり、「売り絵」もしくは「おみやげ屋の絵」という印象だった。もちろんおみやげ屋に掛かっている絵もモノによっては好きだが、これは違うと思ったのは「眼差し」を感じられなかったからだ。
母親のヴァラドンの作風は強い輪郭線と、陰影部、反射光があたる部分に青みの色彩を用いるゴーギャンに影響を受けたような作風。
野村芳太郎監督の「張り込み」を観た。ラストの佐賀から東京までの長距離列車が停まる駅名をアナウンスする駅構内ホームのシーンはゾクゾクと震えた。そして「終」の文字でこの映画が終わったあとの、それぞれの人物の人生が想像出来るようだった。それにしてもラスト、若い刑事は犯人に対してなぜ「若いんだからまだやり直せる」などと軽口を吐いたのか。いくつか腑に落ちない場面があった。
「深夜の馬鹿力」、とても好きな放送だった。伊集院さんの独特な旅の話は面白く最後まで聴き入った。
最近ラジオで聴いた曲
萩本欽一「何処かにお前が」 長万部キャッツ「川原の石川五右衛門」
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by koyamamasayoshi
| 2015-05-04 01:58
| 日記
無名橋

2015年4月18日
六本木へ「単位展」「蕪村若冲展」を観に行く。
デザインの世界の人のその、万人に伝える才能、そして伝わった時に脳の一部が開く感じはすごいなと思った。デザインの世界にある、「つるんとした仕上がり感」は展示会場周辺のこのミッドタウンにも大いに存在し、ボロボロの革ジャンでフケあたまの俺には居づらいところであるが展示をみる目的で堂々と歩く。
蕪村若冲展はとても勉強に参考になった。しかし一番驚きだったのは、伊藤若冲、与謝蕪村、円山応挙が道路向かい程のご近所さんだったことだ。場所は京都四条河原町。
ミッドタウン施設内のおしゃれ店舗に交じってファーバーカステルの店があるのを見掛けた。
なるほどなあ…と思った。
六本木から新宿まで歩く。
神宮外苑あたりを歩いていると後ろから太鼓の音が聴こえる。
振り返ると白衣(びゃくえ)に、下は黄色のニッカポッカ風、手にはお題目をあげるときの団扇太鼓を持つ中年の男ひとり。どこまで行くのかコンクリート渓谷の遠くを見つめて叩いている。周囲は目の端で捉えているだけで見ぬふりをしている。自分は少し先のベンチで座って待ち、修行者をじっと見た。なにか通じたかった。
神宮球場周辺、本日ヤクルト×横浜DeNA戦があるようで入り待ちの長蛇の列が出来ている。交差点で横浜の助っ人外国人選手が居たが自分には分からなかった。
絵画館に寄ってみる。案内板を見ると施設維持協力金(入場料)500円。だが何回数えても財布には458円で足りない。あきらめて四谷新宿を目指し歩く。
何気なくふっと振り返ると国立競技場が数機のショベルカーによって破壊されていた。バームクーヘンで言うと残りふた口の国立競技場は切なく、目の奥がじわっと熱くなり悲しい気持ちになった。
首都高入口の脇道を行くと「いい場所」に繋がった。高速道路と中央、総武線の線路の上を横断するその脇道(跨線橋)は流れる車と電車を一遍に味わえる場所だった。
西を向くと夕日の影となった新宿の街が見える。その場所の名は「無名橋」。
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by koyamamasayoshi
| 2015-04-19 02:16
| 日記
逃走

2015年4月17日
地底(海底)のへどろに半身浸かりながら地上(海上)からわずかに降って落ちる光った粒を拾いジャケットのポケットに集める男の絵を描いた。
「アメリカの友人」、「デッドマン」、「かもめの城」を観た。男の哀しみを描いたヴェンダースの「アメリカの友人」はとてもよかった。「デッドマン」は自分にはいまいちだった。
風雨の中を黒い犬と走る男、頭には風になびく白い布が掛かっていて、男の肩に止まった鳥が布の端を銜えている絵を描いた。
アイデアがわずかに見えてきた。ような、気が、する。
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by koyamamasayoshi
| 2015-04-19 01:57
| 日記
テーマ
2015年4月15日
沈殿物になっている。とにかく映画ばかりみている。
昨日見た中では、ヴィタリー・カネフスキー監督の「動くな、死ね、甦れ」「ひとりで生きる」はとてもよかった。上辺だけの内容の無いクソみたいなポエトリィな科白を吐く映画なんかが、何故か比較に思い出されて、「そんなことやっとる場合じゃないんだよ!」「好きなら勝手にやっとれ!」と、くだらん男と馬鹿女がどうのこうのの映画にむかって吐きたい気持ちになった。
と同時にこれは、自分にも向いてる刃かもしれないと思うと他人事ではない。
妻と一緒に近所の川沿を歩きながら考え事をしていた。作品のアイデアが深まっていかない事に焦っている。
自分がこの世に生まれた理由というか、この作品を生む為に生まれてきたという原動力を必要としているし考えなければならない。とても簡単に言えば、自分にとって代表作というやつを。
カネフスキー監督が「動くな~」「ひとりで生きる」を産み落したことは彼の生まれてきた理由だと思う。
監督のインタヴューが特典映像で付いていたので見た。夢でアイデアが降りてくるといい、鮮明な内に書き留めると語っていた。そしてそれを天啓として受けとめているようだった。自分も天啓を逃さないようにしたい。しかしそれ以上に自分が生まれた理由のテーマを自分自身で考えなければならない。
2015年4月16日
能動的に作らなければならない作品のテーマとはなんだろうと、考える。
土地土地に基づいたり、受動的なテーマで制作するスタイルと別チャンネルに、内発する能動的テーマに制作するスタイルを併せ持たなければならない。いいかえればライフワーク、人生と引き換えの仕事を探っていかなければならない。それは、やらざる終えないもので、ごまかせなく、常に追い求めるテーマだと思うが。自分にとってそれはなんだろう。さまよう魂、さまよう身体、旅、裏、流れる、仮設、巣、生きざま、死にざま、儚さ、情けなさ、無駄なもの、希望、あきらめ、さびしい男の狂気。ただ書き並べたところで依然漠然としている。
B全紙にこんなところに住みたいと思う家の絵を描いてみた。
沈殿物になっている。とにかく映画ばかりみている。
昨日見た中では、ヴィタリー・カネフスキー監督の「動くな、死ね、甦れ」「ひとりで生きる」はとてもよかった。上辺だけの内容の無いクソみたいなポエトリィな科白を吐く映画なんかが、何故か比較に思い出されて、「そんなことやっとる場合じゃないんだよ!」「好きなら勝手にやっとれ!」と、くだらん男と馬鹿女がどうのこうのの映画にむかって吐きたい気持ちになった。
と同時にこれは、自分にも向いてる刃かもしれないと思うと他人事ではない。
妻と一緒に近所の川沿を歩きながら考え事をしていた。作品のアイデアが深まっていかない事に焦っている。
自分がこの世に生まれた理由というか、この作品を生む為に生まれてきたという原動力を必要としているし考えなければならない。とても簡単に言えば、自分にとって代表作というやつを。
カネフスキー監督が「動くな~」「ひとりで生きる」を産み落したことは彼の生まれてきた理由だと思う。
監督のインタヴューが特典映像で付いていたので見た。夢でアイデアが降りてくるといい、鮮明な内に書き留めると語っていた。そしてそれを天啓として受けとめているようだった。自分も天啓を逃さないようにしたい。しかしそれ以上に自分が生まれた理由のテーマを自分自身で考えなければならない。
2015年4月16日
能動的に作らなければならない作品のテーマとはなんだろうと、考える。
土地土地に基づいたり、受動的なテーマで制作するスタイルと別チャンネルに、内発する能動的テーマに制作するスタイルを併せ持たなければならない。いいかえればライフワーク、人生と引き換えの仕事を探っていかなければならない。それは、やらざる終えないもので、ごまかせなく、常に追い求めるテーマだと思うが。自分にとってそれはなんだろう。さまよう魂、さまよう身体、旅、裏、流れる、仮設、巣、生きざま、死にざま、儚さ、情けなさ、無駄なもの、希望、あきらめ、さびしい男の狂気。ただ書き並べたところで依然漠然としている。
B全紙にこんなところに住みたいと思う家の絵を描いてみた。
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by koyamamasayoshi
| 2015-04-19 01:43
| 日記
小山真徳 展覧会情報
by Koyama Shintoku
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