能登曇天色



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昨年の正月に、荒れた日本海と雪そぼ降る静かな冬籠りの奥能登をひとり旅をした。その後芸術祭の滞在制作と作品撤収を越えて春夏秋冬のいろいろな表情を垣間見て奥能登を堪能した。
奥能登珠洲の印象を在所の方やインタビューで訊かれる時に、冬の印象が最も強烈だと話した。色はグレーの景色だ。そう答えた時の反応はいずれも同じで「なんで?」という微妙な顔をされる。秋の祭りが最も華やかなところで冬なんて良いところを探す方が難しいというような反応だ。当然そこに住み続けている人からすれば、わざわざ冬の荒れた日本海を見に来ましたなんていえばどうかしているとしか思わないだろう。しかし秋の祭りの強烈な原動力はこの冬籠りの重くのしかかってなかなか剥がれないグレーの空と無慈悲に打ち寄せる轟々とうねる日本海にあると思う。
おれは夏頃から作品制作を手伝ってくれた妻にその風景を見せてあげたいと思っていた。



2/3 晴時々雨雪

朝9時金沢駅西口で車を借りて昨年正月に始めて来た時の旅程で奥能登へ向かった。数日前からカーステレオでかける曲を選んでいた妻はさっそく北陸能登に似合うクラシック音楽をかけ始めた。
気多大社へお礼参りに初詣する。大陸から流れ着いた種が大きなご神木に育ったダブの木が社殿脇に在り能登は古代からいろんなものが流れ着いたのだと想像出来る。


気多大社から北上し福浦漁港へむかう途中にある魅力的なドライヴインのことを気にしていた。喫茶店ピノキオを過ぎたらすぐにそのドライヴインに再会する。正確な名前は「オートレストラン&ゲーム 来人(らいと)」だった。
外観をひとしきり撮影し入店すると堪らない情景が広がっていた。だれもいない店内にスロットマシーンと麻雀ゲームの筺体が数台(おそらく脱衣麻雀)が細長い店内の両壁際に並び、入り口と中央にぬいぐるみを捕まえるクレーンゲーム機が在る。入り口から一番遠い店内角にベルベットのソファーとテーブルがありテーブルの上には日付は見なかったがスポーツ紙が無造作に置かれている。ゲームコーナーの反対側には同じくらいの広さのカラオケスナックがあるようだが扉が閉ざされていて顔を近づけて覗き込むと赤いカーテン越しの光に満たされた空間が見えた。
車に戻り立ち去る頃に店員らしき女性がやって来て来人に入っていった。その女性もこの来人に似合いの人だった。道々には妻の好みの屋根の傾斜の強い山小屋風の建物があらわれ、何度も車を停めて写真撮影をした。


志賀原発の先に福浦漁港という古い家々が港を囲うような雰囲気のいい小さな漁港がありそこに立ち寄る。北前船が盛んであった当時は風待ち港として大変賑やかだったようで腰巻き地蔵という俗信が流行ったところである。福浦旧灯台にカーナビを合わせて行くが、昨年もそうだったが目的地に着いても見当たらない。ちょうど海苔を干す作業をしていたご夫婦に灯台の場所を訊くことが出来た。漁協の建物の脇の坂を登ってしばらく行った先に木造の旧灯台が見えて来る。近代的な灯台に比べて心もとない旧灯台は役目を終えて今はただ海を眺めるのみだ。


ここからどう珠洲に行くか。昨年はここから能登島方面に抜けてギザギザの海沿いの内浦の道を左回りに珠洲へ向かった。それとも輪島方面に外浦を右回りに行くか。妻に訊くと外浦が見たいと言うのでそうした。
まもなく正午近く巌門の食堂で昼食にする。二人とも注文した巌門ラーメンは伸びきっていた。
能登金剛センターの土産売店の先は、能登金剛遊歩道洞窟巡りに降りて行く階段になっている。防寒帽ネックウォーマーで顔面を固めて怒濤の波の傍まで降りる。波で穿かれた巌の間から白波が近くまでやって来る。水平に平たく穿かれた洞窟の先に胎内巡りのような上に伸びる洞窟が続く。洞窟を出た先のお土産屋で能登金剛とプリントされた古臭いペナントを買った。


松本清張「ゼロの焦点」の舞台のヤセの断崖が少し先をゆくとある。強風吹きすさぶさびしい断崖には誰もいない。寒さに耐えきれず見たという任務を終えたのですぐに車にもどる。そこからしばらく海沿いの道から離れて少し内陸がわに車を走らせ輪島に向かう。そこから少し海沿いを西にもどり大尖岩に立ち寄る。ここは好きなところで日本海の大きなうねりの荒海を眼下に感じられる。


珠洲への道に戻り千枚田のポケットパークに立ち寄ってから、珠洲市内に入り、日が暮れ始めるころに長橋のゲストハウスにチェックインする。昨年始めて来た時にここへ泊まり、夜ネコが寝床にやって来て一緒に寝たことが忘れられなかった。玄関脇のねこちぐらの傍でダンボールに入って遊んでいるシロクロ猫が居た。こっちを見てひとつ啼いた。女将さんが「これは部屋に行くかも知れませんよ」と言った。
俺たちは願っても無いことだった。


夕食は町へ出て外食しようと思って峠道を走っているところ、地元製材所のSさんから電話が入り「うちで夜食べればいいじゃないですか」とお誘いを受けたのでお言葉に甘えることにする。手土産を宿に置いて来ているので、手ぶらで向かうが仕方ない。
Sさん宅へむかう途中の雪で真白の田んぼにハクチョウが群れなして飛んでいる。ふるさと音百選にありそうな「コーコー」という鳴き声をさせて広大な雪田の上を飛行している。
Sさん宅に上がらせていただき、Sさん、親父さん、お母さんと3ヶ月ぶりに再会する。芸術祭撤収の2週間Sさん宅に居候させていただいていたので我が家に帰って来たような安堵感懐かしさを覚えた。突然の訪問にもかかわらず蟹とタラの粗汁とお餅をご馳走させていただいた。Sさんたちは夕食前のようなので、長居しては悪いと思いひとしきりお話ししたところでご無礼した。


宿に戻ると一階の広間では宴会をされていた。俺は2階の客室で、昨年の芸術祭オープニングのイベントの映像を編集しDVDにする作業を進めなければならない。そのDVDを関係者の方にお渡しすることを今回の旅の目的の一つにしていた。昨夜金沢のビジネスホテルでも進めていたが見落としのクリップデータが見つかり、一からやり直さなければならない。その他にもいろいろと仕事を持ち込んで来ているのでゆったり開放した気持には完全にはなれない。
夜遅くまで宴会は続き賑やかな声が下から聞こえていた。日付が変わるころ、ひとり懐中電灯を持って、にゃんこを探しに行くが宿のどこにも見当たらなかった。今日は部屋にやって来ないかもしれない。3時ころまで部屋で作業を進めた。


2/4 雪
10時起床、宿の朝食後垂水に滝へ行く。波は高いが波の花は立っていない。薄緑色した石がいくつも転がっており、妻は、「砕いたら良い色でるかなあ」と数個拾って持って帰るつもりらしい。
おれは波が引く時に海岸の石も引かれ一斉にゴロゴロゴロと立てる音を録音した。
狼煙方面へ車を走らせる。大谷、赤岩を越えると馬牒の高いうねりのある波が集落に向かって押し寄せている。にわかに山から雪が吹き下ろしてきて波のピークの白い部分が押し戻され吹き上がっている。この波を妻に見せたかったのだ。車から降りて吹雪く中カメラをむけると先ほどまで見せていた姿を隠してしまった。なぜかこの旅の最後までこういったことが続いた。森達也氏の著書「オカルト」を思い出していた。精霊、心霊、超能力、などは見るものが意識してしまうとなぜか現れない。意識を向けないと自由気ままに踊りだす。やはり波の一つ一つ、はたまた沖で吹いている風も意識してカメラを向けると機嫌を損ねてしまうのだろうか。


狼煙に着き、昨夏散々立ち寄ったドライヴイン狼煙に入り昼食にする。店の女将は「まあ、大変な時に来たねえ」と呆れ顔と笑顔が混じりあった表情で迎え入れてくれた。店内右手の柔らかいソファーのある渋い好みのテーブル席は封鎖され干した海苔たちに独占されていた。食後禄剛崎灯台へ歩いてのぼり、雪の色と同化した美しい白い突起に向かってご苦労さまとこころで思う。山伏山を越え寺家に入り、須須神社にお礼参りの初詣をする。参道の雪は綺麗に取り除かれ清浄の神域に足を踏み入れたと容易に思わせる。参道途中に大木が根元から横倒しに折れ、折れた裂け目に雪が降り積もっていた。それでもなお力強い生き生きとした生命力を失っていなかった。


なお深々と降り積もる雪の中車を走らせ、芸術祭で作品展示した粟津の地へ着いた。
青年団団長のHさん宅を訪ね、お土産を渡し家に上がらせてもらった。こたつにあたりながら、最近開催されたサーフィン大会の話を聞いた。大会当日はいい波の条件ではなかったが、テントを出してユニットバスのような浴槽にお湯を張って参加者に浸かってもらったという。そして海岸に演歌を流しそれらのもてなしは参加者に好評だったという。昨秋の粟津の祭りの集合写真を渡したいと連絡を受けていたので受け取った。
すぐ隣のK自動車さんへ訪ねる。外のガラス扉から事務所内を覗くとストーブにあたりながら腕を組み居眠りしているKさんが見えた。ガラガラと扉を開け「お久しぶりです」と話しかけると点の表情になり、それが次第に点と点が結ばれたように「大変な時にきたねや」と表情を崩された。
寝ていた顔の筋肉をほぐしながら「おらあ夢かと思った」と改めて驚かれた。
それだけ誰も来ない冬なのかもしれない。
お茶を淹れていただきストーブにあたりながらお話しさせていただいた。慣れない雪道の運転はくれぐれも気をつけなと自動車整備所の社長の忠告を重く受け止めた。


ずっと恒久的に設置することは叶わないとは思いつつも、せめて雪に埋もれたあの船の姿を見てはみたかった。何もない雪だけがうず高く堆積した海岸に作品の姿を頭で重ね合わせ想像するしかなかった。その先の雪降る海の中では黒粒のように見えるウェットスーツを着たサーファーが数人、波と戯れていた。


鉢ヶ崎の元気の湯という銭湯へ行く。ここは昨年の滞在中何度か汗を流しに来ていた。現在タオル付きで700円で入れるが、少し前までは1400円だったらしく地元の人から敬遠され、700円になった今でもあまり混雑している状況を見たことがない。
だからこそゆったりお湯に浸かれる元気の湯は好きでたまに入りに来ていた。冷え切った体をいたわりのんびり湯に浸かりながら露天風呂のある中庭に降り続ける雪を眺めた。
今日は比較的地元の人も多く来ているようだ。風呂上がり体を拭きながら地元の老人たちの話に耳を傾ける。老人のひとりが別の老人に向かってあの若い衆はどうだと訊くと聞かれた老人は「35歳なんかと話し合うわけねえ。オラから云わせればザリガニみてえなもんだな」と名言がポロリと転がり出て、おれは頭を拭くタオルの中で笑ってしまった。


16時半、Tチャン宅に夕食のご招待を受けお家に上がらせてもらった。お宅に上がるとTチャンの子供の男の子がまん丸の目でなんかナマハゲみたいなのが来たと驚いている。そこを俺が握手をしたものだから泣き出してしまった。上のお嬢ちゃんはテーブルの下に潜り込み、椅子に座る俺を見上げ照れている。パグ犬のグウは人としての自覚があるようですぐにすり寄って来て俺の靴下を嗅いだり抱き上げると艶やかな真っ黒な目で見つめている。どうやら同じ獣臭を感じ取り仲間と認識したのかもしれない。お土産と今朝編集の終わったDVDをTチャンに差し上げた。奥さんの作っていただいたお料理を食べながら徐々に子供たちと打ち解けていく。
センセイと俺のことをTチャンは呼ぶ。作品制作を手伝っていただく当初、俺にセンセイは荷が重くやめてほしいと言ったが、Tチャンはそう呼びたいと固辞した。滞在制作の日々が流れていくとそれは気にならなくなっていったが、何も知らない子供たちの前でセンセイと呼ばれるのは何か子供たちを騙しているようでいたたまれない気持ちになった。Tチャンのアトリエに行き新作の絵を見せていただいた。Tチャンの引く線が少し前に比べて形を伴った線に変わっていることに気づいた。絵を描くことに意欲的なTチャンに言葉を発する時は慎重に言葉を選ぶ。偉そうなことは言わないし言えない。ただ感じたことを感じたままに感想を述べることしかできない。
心ではこんな絵描きはなかなかいないんじゃないかと思う。漁に出て家族を養い、波の上に立ち、体と一直線で自然を感じ、不安定な絵の世界に自分の分身を賭すように描きだす。枠から常に飛び出し踊り遊ぶ姿は俺の方が学ぶべきセンセイだ。
お嬢ちゃんはダッコしてと俺の膝の上に乗って来た。犬のグウはゲージに入りいびきをかき始めた。妻は下の男の子と積み木か何かで遊んでいる。Tチャン、奥さん、子供達、犬のグウ。ゆったりした時がここには流れている
3時間ほど居させてもらいこの美しい家庭に不釣り合いな変なおじさんたちはご無礼した。


雪道の大谷峠を越えて宿へ戻る。部屋で深夜遅くまでDVDに差し込むライナーノーツを手書きで書いた。着ていたパーカーは抱きしめていたグウの匂いがいつまでも消えなかった。疲れはてウトウト寝ていると隣で寝ている妻が「来たの?」と小声で話しかけている。どうやら宿の猫のタマがやって来たようだ。薄目で見ると部屋の中を探索している。俺のスーツケースの中の覗き込んだり、持ち手を縛ったコンビニ袋を開けようとしている。とにかく眠かったのでまた眠りに入り込もうとしていると、丸まった体を寄せて添い寝する感覚が背中にした。妻はそのまま起きて観察して居たようでタマは俺の顔を覗き込んだり前足でツンツン体に触れていたと翌朝教えてくれたがその時には深い眠りに落ちていた。

つづく



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# by koyamamasayoshi | 2018-02-12 20:17 | 日記

遠足1/31

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# by koyamamasayoshi | 2018-01-31 20:16 | 日記

方丈記

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# by koyamamasayoshi | 2018-01-29 20:03 | 日記

牯嶺街少年殺人事件

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恵比寿の写真美術館に映画「牯嶺街少年殺人事件」を観にいく。上映時間4時間の大長編。
パンフレットを先に読んで登場人物などの事前情報を少し理解しておけばよかったが、途中からなんとなくだがわかり始める。
圧迫感の強い重苦しい内容だが、ドロドログチャグチャの陰々滅々ではなく、漂うのは乾いて冷たい気持ちのいい空気感。
高い評価をされる映画に違いなかった。
主人公の少年の眼差しは、中学生特有の大人や社会を見定め怖れるもののない挑発的な眼の鋭さと、諦念感漂う冷めきった虚しく悲しい穴のような眼を同時に持っている。
やじろべえのように不安定な上に立ち、周りの空気に翻弄されふらふらとかろうじてバランスを保ちつつも、狭小で逃げ場のない世界である少年期特有の内包されたエネルギーの圧縮は、握手をするような些細な仕草であっても相手や社会にとてつもない一撃を加える。
その回り道のない思考の直結は、大人や社会に翻弄される中で、自我がマグマのように沸き立ち続ける少年期に絶頂する特殊能力だろう。そしてこの特殊能力だけが、社会をぶち壊し突破し世の中を変える唯一の方法なのかもしれない。

自分の少年期をヒリヒリと思い出しつつ俺には出来なかった、突破していく主人公の少年の姿はひかり輝いて見えた。









# by koyamamasayoshi | 2018-01-28 20:09 | 日記

御嶽山


浅田次郎著「神坐す山の物語」を読む。著者が母がたの在所である武蔵國御嶽山の宿坊で幼い頃に体験した怪異や親類から寝物語に聞き伝えられた狐憑き払いの話などが収められている。妻のお義母さんに勧められお借りして読んだ。


一昨年、御嶽神社でお仕事をさせていただいた折に、宿坊の玄関脇にこの本が並んでいるのを見かけていたが手が伸びずにいた。昨日おとといと、深夜寝ながら読み進めていると、著者の幼い時の風景とは様変わりしたであろうが、大きな位置関係は変わっていないはずで、紙上に並ぶ言葉一つ一つを辿ると、まざまざと御嶽山の情景が思い浮かんだ。

この本の中でひときわ印象的な話は、キゼン坊の話だった。この一話を読み終えた時、体の奥底から込み上げてくるものを感じた。それは畏れ多くもこのキゼン坊に自分を重ねて読み進めていたことに気づいからだった。
「八百万の神々が満遍する地」と著者が語っているように、御嶽山には大きなものの気配が悠々息づいていると、いま改めて思う。

一昨年、職人さんから聞いたオコジョサマの話がある。それは自分が神社でお仕事をさせていただく前の話で、社殿修復の現場で職人数人で作業をしている時に、リスのような一匹の小動物が足場のタンカンを伝って降りてきたらしい。その小動物は物怖じもせず職人の一人に近づいて体をよじ登ってきたらしい。遠くでその様子を見ていた神職の方から「オコジョサマが降りてきたから、今日は仕事を止めてください」と忠告を受けたという。その話を興味津々で聞いていると「これがその時の写真」とスマホの画面を見せていただき、のぞくと、その職人さんの作業着の腕の所にダッコちゃん人形のようにシッカとしがみ付いたオコジョサマがいた。イタチなのかヤマネなのかわからないがとにかくオコジョサマは可愛らしい貌をしていた。
山仕事に従事しているものの間には今でも、オコジョサマが現れたら仕事をやめなければよくないことが起こるとされているというが、それを聞いた時は、東京の端にすごいところがあるのだと興奮した。

参道の仲見世で休憩している時に、ぜんざいを食べていた或るひとりの参拝客とお話しをした。その方は頻繁に御嶽神社に参拝している近在の人らしかった。
話の流れで、その方は持っていたタブレットをこちらに向けて見せてくれた。
そこには無数の白い球体のオーブが参道の道道などに映し出されていた写真がたくさん収められていた。中でも目を引いた写真が、末社摂社を正面で写した構図のまん真ん中にその社の扉に向かって緑色の球体が尾を引いて吸い込まれているような写真だった。御嶽山はよく霧に立ち込められ真っ白な闇になるので、白い球体は水蒸気、雨粒ではないかともいえてしまう。しかし緑色に発光した球体は私はかつて見たことがなかった。
その人は、こういう写真を此処では『普通に』撮れますよと言った。
「御嶽山は確かに神様がいますよ。その山の神社でお仕事されていることは、大変素晴らしいことですよ」と別れ際その参拝客は言った。職人さんの元で働く、未熟な自分でも「神様の仕事なのだ」と誇らしく思えた。

長く宿坊に泊めさせていただき、色々と興味の尽きぬ話を聞いたが、それらはもはや書けない。言葉を尽くして汎用させてしまえばそれの力が失くなっていくのではないかと感じてしまうからだ。それらの言葉は自分の中で熟成させて別の形に移し替えて残していくことが自分の仕事だと思うが、それがどういう形なのか未だわからない。







# by koyamamasayoshi | 2018-01-27 16:08 | 日記

オムニバス形式の夢

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ひとり廃墟にて「心霊展」を観ている。国内外の有名な作者の作品が出ているがいまいち自分が思う怖さとズレている。ひとが横たわったような起伏のあるシートが呼吸にあわせて脈動し蠢く作品が妙に恐ろしかった。廃墟を出ると知人のNさんがアメリカのコメディアンのような格好をしてパフォーマンスイベントをしていた。



ゲームセンターのような宝くじ売り場のようなところで、間違いなくハマるとされるゲームをしている。ゲームの内容はまったく思い出せない。弟がバカ当たりを決めたようで受付にいるおばちゃんと踊ってはじけている。


カーステレオでかける曲はこれだよなといって車に乗っている。



行商をしているのか何か売り物を背負って知らない土産屋に入り、そこのおばちゃんたちとお話をしている。頭を動かすことなく自分の視点が右側、後ろ側、左側、前側と次々切り替わる。視点が変わる一瞬後ろにいた人の顔がぐんにゃり歪んで見えた。
おばちゃんたちに「あんた、だれかに似てるねえ」としきりに言われる。「山にいる、ほらあの人」と知らない人の話をされる。



ラジコンカーに自分の作品と小型カメラを載せて、その映像視点が自分の目と直接繋がっている。ラジコンカーは坂を登っていく。登りきったところで誰かと鉢合わせになったようで「なんだい、こりゃあ」と驚かせてしまった。



自転車で歩道を走っている。





# by koyamamasayoshi | 2018-01-24 13:05 | 日記

1月22日雪

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雪が降っている。2014年2月以来の大雪かもしれない。
午後妻と雪中散歩する。風邪気味だけど雪をザクザク踏み歩きたいと思った。
近所の川は真っ白に覆い尽くされ木々は雪の笠をかぶりうなだれる。
白い世界に吸い込まれそうな踏切の赤い警告灯が光る。
傘を抱き寄せるようにして吹雪から身を守る人々が狭い踏切をすり抜ける。
電車が通り過ぎた方の線路を眺めると速度を落とし徐行し停止した。
玄関前に積もった雪で手に乗る大きさの雪だるまを作り、台所の流しの上の窓のところに置いていた。

# by koyamamasayoshi | 2018-01-22 20:16 | 日記

遠足1/12

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# by koyamamasayoshi | 2018-01-12 20:15 | 日記

遠足1/11

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# by koyamamasayoshi | 2018-01-11 20:11 | 日記

金瓶楼今紫


千葉市美術館へ出掛け、小沢剛さんの「不完全ーパラレルな美術史」を観覧する。
日本の近代美術史の中で、時代の大きなものに見向きもされず、ときに葬り去られたり、排除された埃っぽい存在たちに目を向け、洗い直し、逆襲の機会をそれらに与えるような近年の小沢さんの作品群をまとめた形の展覧会になっている。

6年前どういう経緯か忘れたが、大学の食堂前でお会いした時に、「この本知ってる?」と、ちくま学芸文庫の木下直之著『美術という見世物』を小沢さんはこちらにむけた。おれはその当時から、高橋由一が好きで且つその周辺の幕末から明治初頭の画家たちに興味を持っていたのでもちろんその本は好きだったし、木下直之さんという美術史家の眼差しそのものが好きだった。また、在学している時に美術史家の青木茂さんが講義にお越しになり、日本西洋美術の草創期の話をされるのを聴き、明治の画家たちの熱情に触れ大変興味を持っていた。

かくして、明治7年浅草寺境内において五姓田芳柳、義松親子によって興行された「油絵茶屋」を再現しようという小沢さんのプロジェクトに加えていただいた。
その明治7年の「油絵茶屋」の資料は少なく、人形の吉徳に収蔵されている当時のパンフレットである引札一枚と、木下さんの著書『美術という見世物』に書かれている、油絵茶屋を取り上げた当時の新聞記事など限られたものの中で進められた。
小沢さんのリサーチに随行させていただき、人形の吉徳へ引札の原版を見に行ったり、木下直之さんにお話を伺いに行ったり、神奈川県立歴史博物館へ赴き収蔵されている芳柳、義松の画法を学びに行った。

芳柳の画法は日本画の技法で西洋画風に描かれる横浜絵というもの。義松は、駐日特派員で画家のワーグマンから習得した本格的な西洋油絵画。
「油絵茶屋」に掛けられた12枚の絵を、親が描いたのか子が描いたのか、引札を見てもわからない。
プロジェクトに参加した油絵科のOB、在学生11名はそれぞれの絵を担当し芳柳で描くか義松で描くかを決めて、それぞれ引札の中に描かれた小さな版画の絵を頼りに独自にリサーチし情報を集め描いた。

自分は義松として、第八ばん「金瓶楼(今紫人形ニ見立)」を描いた。

引札に小さく描かれた絵の情報から、何に扮しているのか、着物の絵柄、今紫という当代一の花魁の顔、当時の化粧方法、装着している小物などを特定していった。
その中でよくわからなかったものが、今紫がすっぽり収まっている大きな箱の存在だった。(人形ニ見立)と書かれているくらいだから、自身を人形に見立てた時の収納箱だろうくらいには思っていたが、実際にこんなことをやるものなのかなと疑問だった。


それから何年か過ぎた一昨年、
石黒敬章著「こんな写真があったのか 幕末明治の歴史風俗写真館」を本屋で見つけペラペラと立読みしていると、あの人形見立ての実例というか、当時の人形見立てをする女性の風俗写真が掲載されていた。これは数年越しのパズルのピースがカッチリはまったような思いがした。澤田開下堂という大阪で開業したトリック写真を撮る写真師が始めて、のちに上野彦馬などに影響を与えたと同著に説明されている。等身大の箱だから結構大きな撮影用のセットで、箱の蓋には「京人形」と大きく書かれている。
もし「油絵茶屋」の金瓶楼の絵中の箱の蓋に何かの文字が書かれていたとすれば「白拍子」「静御前」とかになるのだろうか。

それにしてもこの本が家の本棚に2冊あるのはなぜだろう。妻に訊いても買っていないというので、本屋で同じ衝撃が2度あったということなのかもしれない。



# by koyamamasayoshi | 2018-01-06 20:05 | 日記


小山真徳 展覧会情報


by Koyama Shintoku

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