妻有鷲眼記⑵ カメラで撮ることについて考える

5月、イリア&エミリア・カバコフの作品「棚田」が眼前にある場所で自分は作品制作をしていた。

カバコフの作品は、棚田で農作業をする農民のシルエットと農作業に関するテキストが、ある場所から鑑賞すると重なって見え、この地の歳時記を絵本の様に表現している作品である。

芸術祭会期前にも関わらずこの有名作品に観光客はやって来る。土日休日となると観光バスのコースになっているようで大勢の観光客はその棚田に向かってスマホやカメラをむけてパシャパシャと撮影して去って行く。その光景を傍で眺めながら作業を進めていた。


その光景を眺めるうちに、なぜカメラで何かモノを撮るのだろうという疑問が沸いてきた。次第にカメラで何かを撮るということが自分にとってどうでもよく思え、撮ることがなくなっていった。

気になったのは、カメラで撮ることが主の目的になっているという点だ。カメラもしくはスマホという御朱印帳に、さも「ここに来た」という証拠を残しているように思えてしまうのだ。

証拠を残すことにどれほど意味があるだろう。そのことがどれほど人生を豊かにするだろう。

スタンプラリーのように御朱印帳に印を集めることよりも、寺社に参って神仏に対峙し、自身の心の中に何か救いを見出す心の変化が大事ではないか。

風景でも芸術作品でも同じなのだと思う。

それと対峙した時に何を感じるか、だ。

それが頭、脳、耳、身体を通過するよりも先に無意識に撮影してしまう。それはある意味で反射的で鋭敏な感覚かもしれないが、同時に多くの感覚をシャットダウンしてもいるのだ。

あたりまえだが、人間の感覚は視覚だけではない。そして記憶の構造も視覚だけで出来てはいない。

音が、味が、匂いが、時間が、また暑さ寒さが絡まり、頭の中に渾然一体とした情景が立ち浮かぶ。おなじものを見ながらも、人それぞれ別な情景が頭の中に浮かんでいるからこそおもしろい。



写真を撮るということを人間が皆一斉にやめたら、より文化が進歩すると思う。

写真は、手軽に撮れることで、ひとに伝える情報量とその手間を大幅に省いているともいえる。

気持ちや出来事、事象を伝えるのに、写真を使わず、言葉で詩で、歌で文章で、小説で絵で、音楽で身体で伝えるとする。

そういった手間のかかる部分に芸術が生まれてきたのではなかったか。

受け取る側の想像力を刺激するこういった芸術分野が、抽象的な何かを読み取ろうとする力を育てるのである。目に見える視覚ばかりを気にした作品が持て囃されてゆき、作り手もそんな作品ばかり作り続けていくようになったらこの先にどんな世の中になるんだろう。そこに情緒は残っているだろうか。

伝える側の技術能力が高まりさえすれば、自然と受け取る側のキャパシティも養われるはずだろう。



人間皆が一斉に写真を撮るのをやめることは、まずありえない。だからせめて、写真を撮る人間の有様がどうにかならないかと思っている。カメラで撮影している人や、スマホを向けて撮影している人の佇まいがとにかく美しくないのだ。特にスマホを一斉に向けている群衆のみっともなさ。「おわら風の盆」を見に行った時にはそれを烈しく感じた。暗がりの路地に美しい踊り手が静かに舞う。そのまわりに、無神経に光るスマホを掲げ、小さい窓から舞い手を覗くみっともない群衆の影。自分にもいいきかせたいことだが、群衆は群衆らしく、「情緒」のまわりでは大人しくなにもしない方が美しい。明治の写真の中の群衆はなんとも美しい。それは丸腰でなにもしていないという点で抜群に美しいのかもしれない。


また小津安二郎、黒澤明、成瀬巳喜男の映画などに、自分(てめえ)のことばかりに終始している群衆のシルエットなど出てきたためしがない。だから美しい。



写真を撮りつつ美しい佇まいを自分なりに考えてみる。

お辞儀をした頭のてっぺんで写真が撮れるとしたら。

合掌をする手の間からそっと写真が撮れるとしたら。

非現実的だがそんな感じが俺にとってはまだ佇まいとして美しいと思えるところだろうか。


# by koyamamasayoshi | 2018-09-30 22:18 | 日記

妻有鷲眼記⑴ 人魚の宿


一昨々日から昨日までお世話になっている奥能登珠洲の製材屋のSさんが作品を観にきてくれた。

あらゆることに疲れていた俺は遥々来てくれたSさんに愚痴ばかり聞かせてしまった。

Sさんが帰っていった夜、「どんなことにも意味があると思います」というSさんの純真な言葉が能登から届きボロボロと涙がこぼれた。


ごちゃごちゃとした頭がふっ切れた翌日、今日は1日なにもしないことに決めた。



十日町を離れて魚沼方面へ軽トラを走らせる。

トンネルを抜けて浦佐に下っていく坂道の両側には連なった祭りの提灯がぶら下がっていた。終わったばかりかまだ始まっていないのか。

虫の字のつく地名の交差点を曲がっていった先に西福寺に着く。


幕末の名匠石川雲蝶が寺内の装飾のほとんどを手がけたという仕事を学びにやって来た。茅葺きの開山堂は、雲蝶が39歳の時に手掛け5年の歳月をかけて完成させた最高傑作だ。

緻密細密の超絶技巧と、豪壮勇壮で大胆みごとに形を捉える力は当代随一の透かし彫りを生み出し、観る者はすべての欲を投げ捨て、掌を合わせこの眼前に迫った涅槃の世界に言葉を失うに違いない。

欄間、虹拝、木鼻、本尊、燭台などの彫刻と彩色、襖絵の描画、窓格子の細工、漆喰細工などなど、これが一人の人間の手による仕事というのだから、どこをどう切り取っても太刀打ちなんか出来やしない。ただただ圧倒する。


このような個の技、個の業こそが芸術と信じているので、弱気になっていたところへ大きなエネルギーと勇気をいただいた。同時に芸術祭に一つとして個の業を見るような作品がなかったので、興行的なアートの軽さ薄さ浅さを片側で思ってしまう。



道の駅ゆのたにまで来たところで、すこし逡巡してから奥只見湖方面へハンドルを切った。ある目的を抱えて。


大湯から栃尾又温泉に寄り道して国道352号で奥只見湖を目指す。この崖沿いの山道はどこまでも登り坂で、永遠に登り続ける不安に襲われる。振り返れば周囲の山の頂を見下ろしさらに辺境へ突き進んでいる。まだまだ知らない風景があるなあ何処まで行っちゃうんだろうと楽観的でもある。集落もなにも無いところにバス停があり、時刻表をのぞくとなんと白紙の時刻表。いくら行ってもまだ峠に辿り着かない。時折案内看板がたち、銀山平の文字。

銀山平。ギンザンダイラ。この文字と音を憶えている。



ようやく道の先が下っている。峠だ。ガソリンを気にしていたのでそこから先の下りはずっとニュートラルに入れて下った。

やがてロッジが点在するキャンプ場に辿り着く。その中にはいくつか旅館もあり、その中から自分の記憶の奥底の泥のなかで裏返っている不確かな宿の名を拾い上げて、おそらくここではなかろうかと特定し、O荘という宿の玄関を開けた。


何て伝えたらいいだろうかと考えながら大きな声で「ご免下さい」と繰り返した。

やがて奥から宿の主人が表れて俺はどぎまぎしながら唐突にこんなことを訊いた。

「突然失礼します。かつてこの宿に泊まった者の話を伺いにやって参りました。」

間をおかず「東京藝術大学の…」と言い終わらないうちに「はい」と宿の主人は答えた。

行き当たりばったりでやって来たが、間違いなくこの宿であった。



銀山平、師の大西博の口から聴いた覚えがあり、その文字面の美しさと濁音の続く音の響きが印象深く、その上、銀山平での大西さん自身の伝説の話を本人からよく聴かされていたので忘れなかった。

稲妻が湖面にいる自分の乗る舟の目の前を奔った話や、ヌシを釣り上げた話…。

その後、師の葬儀に手向けられた花環の中に、銀山平の文字と宿の名が書かれているのをなんとなく記憶していた。



O荘は師の定宿で、大西さんが学生の時分からここに泊まりに来ていたという。

「こことそこに大西さんの絵を掛けています」と宿の主人が指差す先に大きな油絵が2点、壁に掛かっている。玄関の正面壁には高橋由一の鮭のように、鱒が画面中央に描かれている絵があり、吹き抜けになっている玄関上方の壁、2階廊下からは正面で見える位置に人魚と魚の曼荼羅のような油絵が掛かっていた。

「2階に掛かっている絵は確か卒業制作作品だと訊いています」「人魚のモデルは裸にさせられた若い頃の私です」と作品の裏側も教えていただいた。

ここで釣りをしながら卒制を描いたのだろうか。その油絵はぬらぬらと人魚の周りが妖しく輝き放ち、人魚は幼子のように神秘性を湛えている。


フロントを通り過ぎた先の廊下の壁には湖で釣り上げた大きな魚を掲げた大西さんの稚気に溢れた笑顔の写真が掛かっている。大西さん、やって来ました。声を掛けたら返ってきそうな大きな写真に思わず話し掛けてしまう。


魚拓を見せていただいた。桜鱒の魚拓で日付は平成四年七月二十六日とある。大きな魚拓には現認者の名前が並び、体重体長釣人大西博の名。

「未だこの大西さんの記録は破られていません」と宿の主人は付け加えた。

ヌシを釣り上げた話は本当だった。さすが伝説の男だ。



ご主人に礼を告げ、O荘の宿名の入ったライターを記念に買いO荘を後にする。


銀山平からシルバーラインに入って奥只見湖へ向かう長く続くトンネル。雨でもないのに水滴が至る所に沁み出しビタビタに濡れきった暗いトンネル。手掘りのようなゴツゴツした側壁には何かを縁取る線とよくわからない数値が白ペンキで暗く長く続くトンネルのずっと先にまでベタベタに書かれている。ラスコーの洞窟壁画を目の当たりにしたことはないが、おそらくおなじくらいの感動だろうと思われた。

「大西さん、俺がんばるよ」

そんなワンダーなトンネルの中を走りながら独り言を言った。


# by koyamamasayoshi | 2018-09-30 00:50 | 日記

8/11

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# by koyamamasayoshi | 2018-08-11 00:34 | 日記

8/10

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# by koyamamasayoshi | 2018-08-10 22:34

2018年の方丈記私記

新潟県十日町市、津南町で開催中の、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2018」に作品を出しております。
越後妻有里山現代美術館[キナーレ]の回廊で催されている「2018年の方丈記私記」という企画展に鷲の格好をした方丈の庵を出展しています。
大地の芸術祭にお越しの際には是非お立ち寄りいただきたいと思います。

「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2018」
2018年7月29日(日)〜9月17日(月・祝)
[所在地]:新潟県十日町市六の一丁目71-2 越後妻有里山現代美術館キナーレ
[開館時間]:9:00〜19:00
[料金]:1500円、芸術祭パスポート(一般当日3500円)提示で会期中何度でも入館可
[電話]:025-761-7767

# by koyamamasayoshi | 2018-08-06 17:36 | 展覧会

ホームページ開設

小山真徳ホームページ

ホームページを開設しました。作品の画像がご覧いただけます。

# by koyamamasayoshi | 2018-08-06 17:05 | 日記

夢の光景

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2/21

夢の中、奥能登を旅している。旅疲れて、ウトウトと何も遮るもののない海を見ながら微睡んでいる。
夢の中の夢と現(うつつ)のあいだにぼんやり瞼を開けると波と波のあいだ、波の壁の向こうに一隻の船が滑り出した。自分の位置と50mほど離れている感覚だ。ぼんやりした頭で何だろうかと思っていると、続々と船が現れて連なっている。漆黒の木造船の形に、北朝鮮の船だと気付き、物陰に隠れてそのおびただしい数の大船団を覗く。
濃い霧とうねる高波に物ともせず飛沫をあげて現れ続ける。
その船上には弓矢や刀剣を構えた兵士や、舞人、雅な楽隊、その他色々な者が乗船している。どの人物も静止していて、べたっと貼り付けたように動かない。影絵のような黒いシルエットの大船団が目の前を横に滑って連なっている。その中で舞人だけがおよそ兵団に似つかわしくない派手な色の衣装を着ている。舞を踊っているまま固まっているので動きに合わせて衣装も広がったまま止まっている。その色彩が美しく頭に焼き付いている。

カメラで撮らなければ。
そう思いこっそりレンズを向けると、デジカメのモニターの中で、波に耐えきれなくなったと見えて船は一斉に崩れ波に飲み込まれてしまった。

そこで目が覚めた。
あの船や船上の人物は遠い遠い昔の大陸の船団だったのではないだろか。怖いと思って怯えて見ていたが、天女や観音様の来迎のように、瑞祥の存在に思える。それ程、とてもいいヴィジョンだった。



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# by koyamamasayoshi | 2018-02-21 16:06 | 日記

松ぼっくり

2/20

11時立川へ、現像したフィルムを受け取りに出掛ける。15時30分に受け取りということをすっかり忘れていて、行ってもまだフィルムが届いていなかった。改めて出掛け直すのも面倒臭いので4時間立川で、今作っている模型の素材を探して時間を潰す。


ユザワヤに寄る。
松ぼっくりが素材として使えそうだと思い付き、松ぼっくりと人形の目玉を持ってレジに並ぶ。松ぼっくり15個ほど入って1000円か…。
…いやいや、松ぼっくりなんかに1000円も出してたまるか。列から外れ、松ぼっくりを棚に戻し、目玉だけを買う。


ここまで来たら松ぼっくりを手にして帰ろうと思い、100均で大きめの袋を買って昭和記念公園に松ぼっくりを拾いに行く。
総合受付所で園内の松がある場所を訊くが「特に松を植えている場所は無いですねえ」という。園内地図を指差し「日本庭園には松はあるんじゃないですか?」となお訊くと「日本庭園にはあると思います」とあるんだか無いんだかよく分からない。
昭和記念公園は米軍基地跡地に出来た途方もなく広い公園。日本庭園を目指しつつ無駄骨覚悟で松の木を探してみよう。


入園料410円。レンタサイクルもあるがこれを借りたら入園料と袋代でもう1000円近い。ユザワヤ松ぼっくりの1000円を超えてはもう意味がわからんのでレンタサイクルはよした。歩き始めて1分も経たないうちに噴水横のベンチの後ろ側に松が見えた。以外にすぐにあった。さっそく買った袋に形のいい松ぼっくりをどしどし入れた。30分くらい拾い続けて袋いっぱい80個ほどになった。わざわざ園内奥の日本庭園まで行かずに済み、1時間ほどで公園を後にした。

これ売ったら5000円くらいになるかな?と駅方向に歩きながら思っていたが、どこに持って行ったらいいのかよくわからない。ユザワヤさんは買ってくれるかな?


そういえばユザワヤの松ぼっくりはクリスマスやリース制作のコーナーに置かれていた。松ぼっくりを買う人を想像した。
東京の街路樹にまず松は無いだろう。神社、お寺の境内の松の下に転がる松ぼっくりをわざわざ拾いに行かないだろうし、拾いに行く時間がない人もいるかもしれない。公衆の面前で松ぼっくりを拾うことさえ恥ずかしいと思う人間もいるかもしれない。そして30分も一時間もしゃがんだり立ったりの屈伸運動をしてまで松ぼっくりなんか拾いたかないわと思う人間もいるかもしれない。

そこまで考えていくと、お店でパッと買える綺麗にパック詰めされた形の整ったユザワヤの松ぼっくり1000円は、都会では正当な価格なのかもしれない。

(1000円は一番大きな笠の松ぼっくりの価格で、中サイズ、小サイズもあり大きさによって価格が違う)

# by koyamamasayoshi | 2018-02-21 01:24 | 日記

犬の貌

外へ出かけると、かなり高い頻度で犬にじっと見つめられたり、前を散歩の犬が歩いていると何度も何度も振り返り俺の顔を見てくる。
吠えるでもなくただじっと見ているのだ。
一緒に歩いている妻も「なんでそんなに見られるんだろうね」と笑って不思議がる。

俺は自分に獣の霊が憑いているから見られるのかなあと思っていたが、妻のiPhoneの顔変換アプリで一緒に遊んでいたらなんとなく理由がわかった。
単純に顔が獣っぽい犬っぽいのであった。



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# by koyamamasayoshi | 2018-02-16 20:37 | 日記

おっ母と東京

2/14
9時50分東京駅に着く。朝食を食べていなかったので立ち食い蕎麦屋を探すが見当たらず、構内を歩き見渡すとおにぎり屋を発見し妻と入店する。
5分で食べ終え東海道新幹線の券売機で入場券を買う。しかしこの入場券の発券が未だに意味不明で、東京駅までの切符を券売機に求められICカードを入れるとなぜが千円入れてくれと求められた。入場券の140円を求められるのならわかるが、まだ駅から出場していないのに1000円求められる意味がわからない。
とにかく1000円で入場券を買って新幹線改札を抜け振り向いて妻を見ると、怪訝な顔でまだ券売機に対峙している。どうやら妻も同じ状況のようで不思議な顔をして改札を抜けて来た。


この意味不明な現象はひとまず置いといて、ひかり508号の到着ホームに走っていく。ひかり508号はすでに到着しており群衆の中、母さんを探す。
ホームに群がる人々の頭の向こうに毛皮のコートを着た母さんが立っていた。
携帯電話は持って来てはいるが、知らない土地で自分がどこに立って居るかわからないと思われる母さんとはぐれてしまうのは大変だったのですぐに見つけられてよかった。


母さんは、乃木坂のギャラリーで作品展示している妻の個展を観に遥々やって来てくれた。大手町から千代田線で乃木坂に向かうことを予定していた。
【東京都区内まで】と書かれた乗車券をおれに見せて「これで乃木坂まで行ける?」と訊いてきたので、「いや、地下鉄で行くからその乗車券はここまでだわ」というも「でも東京都区内までって書いてあるじゃん」と言われる。もったいないってことか、と察して原宿まで山手線に乗ることにする。


車内で「これ何十年も前に父さんに『これ着ろ』って貰ったやつ」と、はにかみながら着ている毛皮のコートをさすった。
男に混じってヨイトマケの世界で生きて来た母さんが持っているとは思われなかったミンクの毛皮のコートで、着ている姿など見たことがなかった。母さんと亡くなった父さんの関係を今この年で聞き想像するといいなあと思う。
原宿で千代田線にそのまま乗り換えてもいいが、物足りないと感じ思いつきで「時間あるし明治神宮に行ってみる?」と訊くと「うん」というので向かった。


東京に18年住んでいて明治神宮には一度だけ参拝した記憶がある。いつ誰と行ったのかは全く思い出せない。妻もほとんど同じような記憶で来たことがあるのかないのかすらわからないという。
風邪が流行っているので電車などの移動は常にマスクをしているが、第一の鳥居を潜ってからマスクを外し、大きな木々に囲まれた神域の空気を肺に送り込みながら参道を歩いた。
この明治神宮の森が何百年の歳月を重ねて森自身が再生を繰り返しているという、どこかで聞きかじったような情報を母さんと妻にした。第二の大鳥居を見てはこれ一木かねえとか、全国の奉納酒樽を見ては蓬莱泉はないかねえとかおしゃべりしながら進むと社殿が見えてきた。
赤銅色の銅板ぶきの屋根は赤く光放ち、色数少なくとても洗練されたデザインの社殿は研ぎ澄まされた美しさがある。この洗練された美しさはやはり日本の美しさだなと感じる。本殿を取り囲む門と塀の屋根も同じ銅板で、現在ふき直している箇所の正反対は色が黒ずんでいるので、ぐるぐる回って修復し続けているのではないかと想像した。
駅に戻る表参道の橋で托鉢僧が若者に話しかけられ場所を少し移動しお経を唱え始めた。
母さんが「あの人本物かねえ」というので「素人がああやってお金を恵んでもらってるの?」と聞き返すと「そうかもしれんに」と悪そうな笑顔をした。
千代田線で明治神宮から二駅の乃木坂で降車する。


昼前の蕎麦屋に入り、俺と妻は舞茸天ぶっかけ、母さんは店員さんの「女性には、なすあんかけそばが好まれています」に応えてオススメを注文した。
俺と妻の注文したものが先に届き、先に食べ始め半分以上食べても母さんの「なすあんかけそば」がこないので、「だいぶ丁寧に作ってるね」とからかうと「知らんけど」と厨房の方を見ている。
やってきた「なすあんかけそば」はおれの想像していたものと違っていた。おそらくは母さんにとっても。なすにだけあんかけがかかったかけそばを想像していたが、そばとなす全体にあんがかけてある、あんかけ焼そばのような体だった。店員さんは間違っていない。都会の女性には好まれること間違いない。しかしおっ母にはどうかなあ。
妻の前だったからかもしれないが、母さんは文句を言わず食べ終えた。


13時の開廊時間まで30分時間が空いたので、すぐ近くにある乃木邸と乃木神社に参拝する。乃木邸の庭の一角に自刃した時の血のついたものを埋葬した場所があり、3人その前で立ちすくむ。そこを下に降り公衆トイレのあるあたりの階段が入り組んだ感じが複雑で面白い。
トイレに寄って出て来た母さんは「変わったトイレだったに」と便器の説明をしてくれたのだが、立ち去る前にその変わった便器を確認するのをつい忘れていた。


白梅が咲いている。乃木神社も洗練された社殿で御簾には蝶がデザインされていた。明治神宮、乃木神社と今日みた社殿の感想を妻に話すと妻はそこに現人神特有のものを感じたという。なるほどとも思えた。
宝物館では乃木将軍の遺物が公開されていた。日清日露の陸軍総大将、現在は軍神として崇められているというくらいの乏しい知識しか持っていなかったので、歴史がやたら好きな母さんに知識を分けてもらう。
おれがお守りなどを見ている間、妻は絵馬掛けに掛けてある絵馬を見ていたと言って書かれていた願掛けの言葉を教えてくれた。

「乃木坂46の○○ちゃんが活躍しますように」
「乃木坂○○のイベントに当選しますように」
「乃木坂で○○さん(アイドルの名前)に会えますように」

明治天皇崩御に際し自刃殉死された乃木将軍はこの国の行く末を憂え嘆いているだろう。

ここに限らず至る所『聖地』などといいオタクの観光地にしたて、歴史や地霊を侮ると本当にこの国の精神性は終わるだろう。


13時、妻の個展を観に行く。画廊オーナーのTさんにご挨拶し、母さんは持参したお土産を差し上げていた。
一点一点じっくり母さんは観ていた。妻から作品の説明を受けて、ふんふんとかへえ〜とか感嘆していたが、やはりというか途中から「まさよしも行く末をよく考えて頑張ってください」と矛先がおれに終始していく。おれはちいさくなって出していただいた紅茶をすすった。
妻は画廊に残り、おれと母さんはご無礼して国立新美術館へ向かった。
美術館では今日から「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」が開催されている。


都内至る所の駅構内で同展覧会のポスターを見かけていたのだが、そのキャッチコピーが「絵画史上 最強の美少女(センター)」とルノワールの女の子の絵と共に煽っている。
戦慄が走るようなおぞましいルビだが、間違いではないこのママである。センターとはもちろん女の子アイドルグループのセンターのことをさすだろう。
神経を疑うようなキャッチコピーとは別に、おれは密かに母さんが展示されている絵にツンツン触ることを期待していた。
なんというかおすましした都会に獣を解き放ちたい気持ちとでもいうか、母さんの無自覚の反逆精神を見せつけてやりたいというか。
まあとにかく、眠れる獅子を引き連れて(毛皮のコートを着ていたのでまさに)近代西洋美術の巨匠中の巨匠の絵の並ぶ展示室に足を踏み入れた。


展示室の全ての作品の前には柵が設けられており、はやくもおれの淡い期待は破れた。
フランスハルス、クールベ、ドガ、ロートレック、マネ、モネ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、ピカソ…。すべてが名の知れた近代西洋画の巨星たち。
母さんのペースに合わせて、おれのつたない知識の補足説明しながら一緒に観ていく。個人のコレクションのためか知らない絵が多く発見があって楽しめる。
近代西洋画の流れが展示構成でよくわかり何と言ってもセザンヌの存在がひときわ目立って感じられる。絵画としての絵画が生まれたビックバンとしか言いようがない。
どこから誰からセザンヌに繋がっていくのかおれは不勉強で知らないが、セザンヌ以上に絵画の歴史を変えた絵描きはいないのではないか。
モネの睡蓮を最後に展示室は終わる。
「はい終わりかん。もう一回戻るかん」というので戻って付いていくと「まあ出るかん」と言ってやっぱり展覧会場を後にした。


乃木坂から千代田線に乗り二重橋前で降りる。
母さんの帰る新幹線の時間まで1時間半あるので見たいという皇居へ寄る。
「おっかさん、あれが二重橋だよ」と何かのセリフを言ったがおれにはわからなかった。
亡くなったお祖母さんが「皇居はすごいところだったに」と言っていたと母さんはいった。お祖母さんは皇居の掃除をさせていただいた時があったらしく、天皇陛下と皇后陛下に「ご苦労様です」と声をかけられて大変恐縮したということを母さんはお祖母さんの物真似をして言った。二重橋前駅からだだっ広い道をてくてく歩きながらそのことを教えてくれた。
二重橋前にいるのは中国人、韓国人観光客だらけだった。日本人は警備兵と警察官、そしてお堀を走るランナーだけだったのではないか。
それもどういうことなのかなあと俺は考えていた。


「母さん写真撮るよ」と言って二重橋を背景に俺は持って来た二眼レフカメラを構えた。
四角いファインダーの中で体の前で手を重ね体を少し斜にした母さんが見えた。ファインダーに自撮り棒を持った外国人観光客がフレームインすると、それを避けるようにスススと母さんが動いている。それが妙に可愛らしく思えた。
行幸通りを東京駅に向かい東京駅の駅舎の前でも写真を撮った。


東京駅構内でうちにお土産を買っていくといい東京バナナを2箱買っていた。
本日2度目の入場券を購入する。普通に140円で入場券が購入できた。
今朝と購入手続きが同じなだけに余計わけがわからなかった。
待合のベンチで新幹線の時間を待ちながら母さんは「なんとか芽が出るよう身体に気を付けて頑張りん」と何度も何度も言った。

ひかりの自由席に座るために15分前にはホームに並び、入構してきた新幹線に俺も一緒に乗りこんで発車5分前の車内でもう少し話をする。
1分前になり車内からホームに出る。
窓越しで、ふたり視線を外した先の焦点が合っている。
発車ベルの鳴る中、母さんに向かって「ありがとう」と言った。
聞き取れなかったようで「は?」という顔をしたがもう一度いうとわかったわかったと頷いた。
また視線を外したが、眼の端では母さんがじっと見ていると気付いていた。

動き出した新幹線の窓の中の母さんに手を振り見送った。



去っていったホーム、意味もなく一番端の乗り換え階段口まで歩きながら考え事をした。
「いつまでたっても一人前にならないダメな俺だな」と家路に帰る電車で責め続けていた。
生きてるうちにいい目を見せてあげたい。いつの頃からか作品制作の原動力がそのことになっている。












# by koyamamasayoshi | 2018-02-14 23:44 | 日記


小山真徳 展覧会情報


by Koyama Shintoku

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