小山真徳の日記
2023-04-17T16:19:15+09:00
koyamamasayoshi
小山真徳 展覧会情報
Excite Blog
2022/10/19
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2023-04-15T17:18:00+09:00
2023-04-17T16:19:15+09:00
2023-04-15T17:18:39+09:00
koyamamasayoshi
日記
昨日4、5ヶ月かけて書いていた小説が書きあがった。妻に一番に読ませた。4時間くらいかけて読んでくれて、反応もあったのでうれしかった。「燈歌譜」という題のその小説は、さまざまな想いを詰め込んで書いた。
わたしが外へ出て、始めて現地において長期滞在制作をした小豆島が物語の舞台になっている。そこで起きた出来事や、そこでの記憶を、小説という形で保管したいとの考えが先ずあった。それはちょうど、おだやかな波打ち際に漂着した繊細な貝殻やガラス片や、どこから流れて来たかわからない不思議なカタチをしたものたち、そしてギラギラと広い海に降りそそぐ、真夏の光線すらも瓶詰めにしてしまいたいような気持ちに似ている。何度も書き直し、一度完成させ、そして現地に赴き、島の方々と懐かしい話をしながら取材し、もう一度完成させて、また大幅に変更して、書き直し、行きつ戻りつしながらもやっと完成させた。最後の方では息切れ気味になり、はやくこの苦しみから脱したいと片隅で思いながら書いていた。
それでもなんとか終った。これを活字にして本という装いにした折には、小豆島の親しいひとに贈りたいとおもう。わたしとしてはわたしにとっての、松本清張の「或る小倉日記伝」をやったつもりである。
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春。地の底に這いつくばり、塵を舐めるような心身のどん底にあって、頭の中が空洞のようにぽっかりとして、何も言葉が浮かばない。何の音もない。色もない。何も想像できなかった。味もなかったのかもしれない。
しかしその時その敗北感が、わたしにはなぜか虫や植物、空を流れる雲と気持ちが通じたと錯覚したのだ。ああダンゴムシやアリンコはこんな景色を眺めていたのだなあ。
わたしは行けるところまで出掛け、目に見えるものをあえて呟いて、小さな手帳に書き込んで歩いていた。
………………米粒を頬張りたい水音 じいさんとばあさんの姿形の遊戯盤 竹と桜 空を切り抜く桜の触手 川の流れを設計す白黒の合わせ鏡の婆さん二人 水無瀬橋 あばら骨救急車に手を振る 狂少女高山地帯の民族の 険しい眼差しを 八王子の子どもにもあるんだぜパウルクレーのガラス カッティングマットの上は 理容の文字………………
カラッポに近いからだの中から、出てくるに任せて言葉を吐き出し続けた。表現以前の心象スケッチをしていたのだ。そうしたことで油を差したようにゆっくりと頭の中の何かが動き出した。むさぼるように猛烈な勢いで文学作品にふれ、にわかに自分でも書き始めたのだった。
文章に真剣に取り組んでみると、この文字だけの制約のなかで、何を伝えるか、どう伝えるか、伝わりやすいようにするにはどうすれば良いかを常に考えた。あまたの文豪の中から気が合いそうな作者を選んで、読み耽った。それはさびしい岬の上、それとも深い森の中に一軒ポツンとあるその作者の家の中に会いに行き、昔語りを聴くようなものだった。なんて小説家とはどん底を舌で舐めた人間たちなのだと、わたしは泣き出したいぐらい握手をした。
小説、あるいは文章を書く行為が、いまとても良いように作用している。たとえば立体作品を作る時に、作ろうとしている作品の背景を考えることが出来るようになった。…コイツはこのために存在している。コイツはこっちを向いている必要がある……と。
ハリボテの像を作るにしても、腕に乗っかる意志が何処にむかっているかハッキリしないと、何処にも届き得ないただ環境破壊ゴミを作っているのとかわらない。わたしの作品がそうではないとも言い切れないところもあるが…。
ともかく、そうして背景を想像してから作ることは私にとっては大切だと気づいた。
時には得られるものが断片でしかないものもある。そんな時も、その間の足りない部分を補足してまとめてやれば、自然と全体像があぶり出しのように浮かび上がってくるので、それをただ見てればいいことにも気がついたのだった。
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昨年秋、新潟に2ヶ月間滞在していた。新潟市内の海沿いの、松林が広がる砂丘地帯にわたしはいた。その松林は江戸時代に、海沿いの途方もない距離に植樹されたようで、たいへん鬱蒼としていた。わたしはその松林の中を毎朝通って、美しい境内の護国神社まで散歩していた。わたしはまだ薄暗いような松林の中を歩きながら、坂口安吾や野坂昭如が授業をさぼってこんなところで昼寝をして転がっていたことだろうなあと想像していた。わたしはそれまで坂口安吾の作品にふれたことがなく、関心もまるでなかった訳だが、滞在中に折角だからと安吾記念館を訪ねてみたことがある。そのとき、安吾が晩年に新潟の「毒消し」について徹底的に取材をした内容の企画展がたまたまやっていた。「毒消し」とは富山の薬売りのように、かつて新潟のあるひとつの村で勃興した薬売りであり、それを安吾がリサーチしている内容であった。わたしはなんとなく古くさい因習や風俗、インチキ臭いものを、きっと先鋭的な戦後の文筆家は毛嫌いしているだろうと思っていただけに、そこに着眼点を持っていた坂口安吾がたいへん意外であると共に興味を持ち始めた。代表的な作品を次々に読み、その何かを突き放すような腕力のある文体に惹き込まれ、触発されたところがある。
わたしが文章でキモチを残したいと思ったこととして、もうひとつ、祖母の日記を発見したことがある。一昨年、故郷で作品制作をした時に、大々的に母屋の掃除をした。棚の奥、奥の奥のほうに大学ノート4、5冊と巾着袋が見つかった。巾着袋の中身は腕時計と、シソを干して粉々にしたユカリという名のふりかけがビニール袋パンパンに詰まったものが入っていた。それが形見であったのだろうか。こんなふうに掃除などする気にならなければ、気づかないままに一緒くたに捨てられていたに違いない。
祖母は誰かに残そうとしたのか、そうではないのか、とにかくそれらを奥のほうへ仕舞ってあった。母屋に住む母もまったくその存在を知らないでいた。大学ノートに書いてある日記をわたしはまだすべてを読んではいない。すべてを読むには覚悟というか、向き合うこころがまだ整っていなかった。ただ、チラチラとそこに書かれていたことは少し読んだ。その内容は祖母が亡くなる前の日々をふるえるような字で淡々と書いた日記である。
それは祖母がこの世に残した言葉、文字。祖母がこの世に、そしてこの風土の中に確かに居たという証明をしているようで、切々としたものがあった。わたしは、誰に見とめられることのないようなそうした言葉を、ことの他愛する。そしてわたしもそのような言葉や文章を残したいと思った。
さいわいにしてわたしは、文章を書くという新たなものを発見した。広告チラシの裏面に描くたわいない絵のように、紙の上に文字を記していきたいと思いはじめている。いままで、自分のライフワークは何であるかことあるごとに考え続けてきた。油絵であったり、版画であったり、小物の小品であったりしたわけだが、いまも断続的に継続はしているものの、どれも単発的で長く続かない。すぐ飽きてしまうのだ。面倒臭くなるというわけではなく、こんなこと自分がやらなくても良いのではないかという考えが覆いはじめるのだ。
それではなぜ文章が書いていけそうか考えると、わたし自身、映画が好きだというところが大きい。実際映画を撮るには相当な労力と、機材と金がかかるわけだが、文章を書くにはペンと紙さえあればよい。びんぼうな私にとってこれ以上ないほど始めやすく、そして続けていけそうである。紙の中で映画を作ればよいと考えたのだ。紙の中に自分の残したい伝えたい言葉を練り込めばよいのだ。
ようやくわたしにとってのライフワークを見つけたような気がする。それをひそやかに続けていこうと思う。活字にする目標をもってどんどん書いていこうと思う。
ブログを10年近くやってきた。はじめの数年の日記は消失してもうない。ブログは秘匿な日記ではなく、人の目に晒される日記なので、こころの中の本来のおぞましいもの、誰かにたいしての悪態などは引っ込めて書いていないつもりである。そんな都合のいいことばかり書いてある中途半端な日記が、誰に向かって書いているものなのか時々わからなくなる。いや結局いまもわからない。そもそもわたしは花にたとえるならば、咲こう咲こうという力よりも、閉じていよう、蕾のままでいようとする力が強い。…まあそれは言い過ぎで、その力は半々に拮抗している。
わたしは祖母の日記のように、見返られることなどないが、ありのままを記す日記や文章を書きたいと思い、このブログの日記を止めることにする。(*ただそれも何事も長続きしないうえに、未練たらしい私のことだから、しれっとまた書き出しているのかもしれないが。)
晩夏の土庄港。連絡船に乗船するわたしの車にむかって、見送りに来た島の男は離れたところで軽トラックのヘッドライトを明滅させて合図を送った。わたしは連絡船に乗り込む車のルームミラーでその灯りを見ながら10年という歳月をおもった。
わたしの10年、その男の10年…………。
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背中
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2022-12-14T21:22:00+09:00
2022-12-14T21:22:55+09:00
2022-12-14T21:22:15+09:00
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日記
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2022/8/1
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2022-08-01T23:36:00+09:00
2023-04-06T23:37:23+09:00
2023-04-06T23:37:23+09:00
koyamamasayoshi
日記
昼前に妻と岳母と3人で御陵前の蕎麦屋に行く。炎天下、ぶっ倒れないか心配になるくらい暑い。わたしは以前と同じシャキシャキ大根蕎麦を注文した。とても美味しかった。帰りは桜並木の木陰の下を歩いて帰る。桜の木にこびりついていた蝉の抜け殻を10個ほど摘んでコロにお土産として持って帰る。けれどもコロは全く反応を示すことはなかった。]]>
2022/7/31
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2022-07-31T23:35:00+09:00
2023-04-06T23:36:28+09:00
2023-04-06T23:36:28+09:00
koyamamasayoshi
日記
汗に濡れる女 水をのむ ホームに風がわたる
朝9時ごろ横浜のシルク博物館へ出掛ける。蚕に関する展示資料が豊富で見ごたえがあった。3齢と5齢の蚕が桑を実際に食べている姿を間近に見る事が出来てたいへんよかった。売店で「描かれた養蚕」という過去のカタログ一冊と、繭玉を買った。
ついでに日本郵船の博物館にも立ち寄る。企画展では文芸譚をやっていた。内田百閒の若き姿の写真を見ると奥田瑛二のような男前の顔であることがわかった。桜木町駅まで歩いて行き、横浜線で帰る。八王子みなみ野駅で途中下車して、丸亀製麺で遅い昼食を摂る。今日はとても暑くじりじり肌がやけた。]]>
2022/7/30
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2022-07-30T23:34:00+09:00
2023-04-06T23:35:15+09:00
2023-04-06T23:35:15+09:00
koyamamasayoshi
日記
朝8時、バスに乗って片倉あたりで下車し道了堂に登る。木々に囲まれていて、夏の強い陽射しを遮っていて涼しいはずなのに、蒸すように息苦しい。絹の道を鑓水方面へ下っていく。じめじめした道で蚊が多い。梢の先ではすがすがしい夏の青空が広がっている。絹の道養蚕資料館に入り養蚕について勉強する。入館受付のところに、シルク博物館の図録があって欲しかったが売ってくれなかった。いずれ近いうちに横浜のシルク博物館にもいってみたいと思う。鑓水に古い養蚕農家の建屋があるらしく、適当にぶらぶらと歩いて探すも見つけられなかった。そのかわりに、竹垣に覆われた広い敷地の中が鬱蒼とした森の中で、その木々の間から大きな昔風の邸宅が見えた。竹垣にはタヌキ注意の可愛らしい貼り紙が貼ってあった。
養蚕農家の建物はあきらめて多摩美の前を過ぎ、大きな交差点のバス停でバスを待ち八王子まで戻る。壱発ラーメンを食べて別のバスを乗り継いで帰宅する。
新潟で金物屋をめぐった経験を、ひとつ小説にしてみようと思う。あったことを並び立ててみても、読む方には疲れるだけなような気がする。ただ目線は自分自身で良い気がする。
閉じようとする花を無理に押し開いてもう一花 漲り咲かせる
カイコのような白い女の下肢きように生きれぬのだから同じことを繰り返し死ぬだろう]]>
2022/7/29
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2022-07-29T23:32:00+09:00
2023-04-06T23:34:01+09:00
2023-04-06T23:34:01+09:00
koyamamasayoshi
日記
昼ごろ2時間眠り、15時ごろ京王線で高尾山口駅へ行く。古い靴、履けないこともないので無理矢理履いている。ケーブルカーの麓の清滝駅までの道で、山から降りて高尾山口駅に向かうひとびととすれ違う。雲もなく炎天下、肌が熱い。6号路から入山する。6号路が一番好きだ。夕暮れ前のこの時間、すでに夜や夜明け前に満々と満たされていた静謐な空気感はなく、人に立ち入られて霊気は逃げ出したか、地中に踏みしめられてなかに入ってしまっている。ただの荒れた山道は、すこしもったいないキモチ。
山頂までの6号路の中間あたりで、水流の側を徐々に離れて大きく曲がりくねったカーブを2つ3つ越した道の斜面に黒い大きな人形が立っている。人とも幽霊だとも見間違わないが、どことなくヒトガタのものが斜面に立っている。近づいで見ればそれは立ち枯れた木であった。先端の方に向けて削った鉛筆のように窄まっている。それがなんとなく髪を引っ詰めた着物の女性のようにも見える。やがて稲荷山コースと合流して板敷きの整備された道になる。整備されているもののこの道が結構きつい。山頂に昇る最後の階段を登り切った。山頂に美しいバナナの実があった。バナナの実というのはたとえで、それはブロンド美女の履くホットパンツから伸びた長い脚。木陰に座り込んで携帯をいじっていた。その投出された白き門が神々しくあった。山の神とは醜い女神ということだが、わたしの眼を癒してくれる彼女たちの肢体はまさしくミューズに違いないのだ。山頂には幾人もの若者が腰を下ろして休んでいた。薬王院へ歩く。不動堂で手を合わせていると、足元の敷石に振り撒かれたような液体が消え去らないで残った痕がある。ひょっとするとたびたびどこかの神社で被害に遭う、油を振り撒く悪戯、器物損壊事件ではないかと思う。つっと指先でそのしみに触れて鼻先に持っていく。臭いはしない。わからなかった。飯綱大権現にむかって手を合わせていると、先のほうから美しいしとやかな女が現れた。すれ違い稲荷社の方へ去っていった。
ケーブルカー山上駅で待ち合わせをした妻とビアマウントで、たまの贅沢で食べ放題をした。2時間4200円。陽が暮れるまでのんびりと遠くに見える街を見下ろしながら食事をする。周囲の山々からひぐらしの一大輪唱が聴こえる。
ケーブルカー麓駅で待ち合わせをすることにして、わたしはひとりで一号路を降って下山する。ケーブルカーで一気に降りてしまうのは勿体無いほどのひぐらしの鳴き声を全身に浴びた。昇る時には味わえなかった霊気が徐々に戻っていると感じた。ひぐらしの声に呼び戻されたようである。わたしはこの霊気を大切にしたい。
清滝口に着くとケーブルカーで降りてきた妻とジャストタイミングで合流した。高尾駅からバスに乗り、我が家の最寄りのバス停に降りると花火の音が聞こえる。駆け出していって住宅地のすき間から見えるところまで歩いた。裏山の切れ間に花火があがっていた。近隣の住人も花火の音に誘われて路上に集まった。八王子まつりにはまだ一週間はやい。サプライズ花火であろうか。路上に集まったひとたちは静かに夜空を見上げた。10分ほどして花火は鳴り止んだ。集まった人々は何もなかったかのようにそれぞれの家に入って行った。帰ってシャワーを浴びて眠る。ひりひりとカラダが痺れたように、肌が火照り、その熱くなった肌を癒すように無茶苦茶に寝た。]]>
2022/7/22
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2022-07-22T23:31:00+09:00
2023-04-06T23:32:42+09:00
2023-04-06T23:32:42+09:00
koyamamasayoshi
日記
午過ぎ、小豆島に葉書と、姉のところへ絵を送った。駅前コンビニの前に座り込んで電話をしている男がいた。その男の足元には男の鞄と8枚切りか6枚切りの食パンの袋が、袋の口が開いた状態で無造作に置いてあった。袋越しとはいえ食べ物をそんなところに直で置くのはやめてくれ。見ているのもバチが当たりそうだよ。]]>
2022/7/20
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2022-07-20T23:29:00+09:00
2023-04-06T23:31:34+09:00
2023-04-06T23:31:34+09:00
koyamamasayoshi
日記
一年振りに大山に昇る。朝5時半に家を出て、電車を乗り継ぎ、大山ケーブル下に7時半過ぎに着いた。男坂を登り始めたのが8時ごろ。毎回思うのだが、大山山頂までの行程で男坂が一番しんどい。今回水分を買い忘れて登り始めてしまい、まじで死を意識した。その全身疲労もあって大山阿夫利神社から奥社までの参道は、のろのろと休みながらゆっくり登った。若い女の子がふたり、前方を楽しげにお喋りをしながら登っている。大したものだ。40のおっさんはぜーぜー息をきらして追いつくことすら出来なかった。
10時ごろ下山する。登りよりも降りの方が体に、膝に堪える。木の上でサルが鳴いたような気がしたので見上げるも発見できず。下社に手を合わせ、神泉をいただいて帰る。帰りはケーブルカーに乗って下った。
伊勢原駅行きバスに乗っていると、全身甲冑を着込んだおじさんが自転車を降りて押して歩いていた。何者か。観光関係者か。13時ごろ八王子に着く。腹が減っていたので丸亀製麺でぶっかけうどんを食べる。東美に注文していた額縁を受け取りに行った。
家に帰り冷たいシャワーを浴びて、体を洗った。夜中までずっと体を休めていた。休んでいると急遽深夜掃除を頼まれたので自転車を漕いで高尾山に向かった。中央線の線路脇で、何やら作業員が作業をしていたけども、人身事故でもあったのだろうか。]]>
2022/7/18
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2022-07-18T23:29:00+09:00
2023-04-06T23:29:39+09:00
2023-04-06T23:29:39+09:00
koyamamasayoshi
日記
深夜清掃が連続しているので、昼過ぎまで疲れて眠っていた。夕方額縁屋に行ったが海の日の祝日で開いていなかった。駅ビルの履物屋でヨネックスのウォーキングシューズを新調した。オーダーメイドの中敷きもついでに頼んだ。中敷だけで一万円もした。ふざけるなとも思ったが、長く履くにはこれくらいかかるものなのかもしれん。深夜清掃に行くと、昨夜いたセミのサナギは居なくなっていた。無事羽化出来たか知らん。あのクリクリした瞳が目に焼きついている。]]>
2022/7/17
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2022-07-17T23:23:00+09:00
2023-04-06T23:26:57+09:00
2023-04-06T23:26:57+09:00
koyamamasayoshi
日記
給水器の銀色のタコメーター、その回転音。地球の脈拍、水琴窟の機械音。地下鉱脈の活動家の謀略………………………
9時ごろ上野駅に着き、国立西洋美術館に展覧会を観に行く。その10時の開館までの間、喫茶ギャランで時間を過ごす。店内には懐かしい曲がかかっている。加藤登紀子、ハイファイセット…、妻には堪らないような選曲の歌謡曲ばかりだった。クリームソーダを飲みながら窓の外、ガード下に集っては去っていく上野、御徒町あたりにいる男たちの姿を見ていた。10時になり、美術館へ向かう。休日ともあって人出があった。「自然と人のダイアローグ」とかいうよくわからない展覧会のタイトルで、展示構成が見づらく、何を見せようとしているのかさっぱりわからなかった。個々の作品は当然素晴らしい。セザンヌ、アンドレドラン、ムンク。ムンクはいくつかの面白い素描画が掛かっていた。作品の強度がはっきりしていた。だが展覧会全体として何を見せたいか、何を伝えたいのかはっきりしない。
最近、特に海外の「美術館展」をやる美術館がやたらと多い。これは開催する美術館の怠慢以外のなにものでもないと思うのだが。もっといえばそこにいる学芸員が仕事をしているとは思えない。他人の褌で相撲を取るようなもので、「この美術館にはこんな収蔵品があるんですよ〜」、と紹介することの無意味さをとっとと理解したほうが良い。この企画展も結局は、ドイツの「美術館展」だった。
時代で括っても良いし、ひとりの芸術家に絞って良い。企画展とはそういうことだろ。焦点も作らず借り物の作品を並べるだけで何になる。学芸員よ働こう。Otto dixの展覧会を、ノイエザハリヒカイトの展覧会を作ってくれい。
数年ぶりに常設展を見る。なつかしかった。ルーベンスの描いた二人の子どもの絵などはよく観に行ったものだった。最近、近代彫刻に関心のあるわたしはブールデルの「瀕死のケンタウロス」という彫刻作品が間近で見ることができて良かった。
上野公園を通り抜け、根津神社に向かう。池之端でベトナム料理屋を発見して入店する。おいしかった。根津神社で、妻は拝殿に上がり御祈祷してもらっていた。
千代田線で六本木に移動して、国立新美術館に入館する。こちらは「ルートヴィヒ美術館展」という企画展で、やはりこれも海外の美術館紹介展である。ただ、こちらは美術館の建物自体が広くて天井も高いので、単純に作品が見やすい。それにわたし自身には、ドイツの蒐集家のコレクション作品群だけあって、オットー・ディックスなどのノイエザハリヒカイトの作品が何点か含まれていたのでそれだけでも大きな収穫であった。またゼーハウスという聞いたことのない作者の、崖の上の町を描いた作品なども好きだった。アンドレドランの作品がこちらにもあったが、やはり良かった。
今日2カ所の展覧会を観に行って気になったことがある。それは鑑賞者が作品をスマートフォンで写真を撮っても良いということだ。目の前のものをそのまま切り取る行為が、ちょうど国立新美術館の企画展の終盤、壁にかけられた、世間に蔓延る広告などをそのまま描いているポップアート作品に符合していた。絵画を鑑賞することは、観る人個人の中に静かに沈殿し、なんらかの作用や反応が内からじわじわと起こるものだと思っているのだが、違うのか。美術館のまわし者のようになって、絵画の表皮を写真に撮り喧伝していてどうなる。ここでもっとも蔑ろにされているのは、観るという心理なのだ。そのことを美術館は考えてないらしく、やって来る人間もギモンに思わないらしい。
わたしはいまカメラを捨て去る時に来ている。もう近頃は何処へ出掛けるにもカメラを持って行かないしケータイすら持ち歩かない。(*この半年後折りたたみ携帯からスマートフォンに買い替えて、今ではバシバシ写真を撮っている。まったくいい加減なものである。)憧れの画家たちの眼にすこしでも近づきたいのだ。世間から必要とされない眼、生産的ではない眼、便利ではない眼、役に立たない眼になりたいのだ。(*そのキモチはいまも変わっていない)
ワニがぐるぐるまわる作品が無料公開していたのでついでに観る。作者のメッセージがそのままキャプションになっていたのだが、「ワニが回ることに関してはきかないでほしい」と書いてあった。そこまであっけらかんとしているとなんとなく心地よい。さわやかなワニのオブジェがくるくるまわり続け、音はないものの、風鈴のような納涼感があった。
都心に繰り出すと、夏の女が輝いてみえる。豊かな胸と豊かな尻。午睡に添い寝をしたい。そんな妄想が広がっていく。どうやらわたしの妄想はティーンエイジの頃で止まっている。
深夜清掃で温泉施設玄関を掃き掃除をしている時に、柱を蛹の蝉がゆっくりゆっくり昇っているのを、生まれて初めて目撃した。生命の尊さ!掃き掃除の手を止めて、顔を近づけて見守ると、こてんと落下して仰向けにもがいていた。指を差し出し捕まらせてやった。ガシッと掴んだ繊細な脚とお腹が温かい。柱に移してやるとまだ指にその温みが残っていた。羽化する前の蛹は、その体内に脱皮する熱エネルギーを溜め込んでいるのだろう。仕事が終わって、先刻移してやった場所を見ると蛹は軒まで昇っていた。明日は脱皮するだろうか。]]>
2022/7/12
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2022-07-12T23:22:00+09:00
2023-04-06T23:23:41+09:00
2023-04-06T23:23:41+09:00
koyamamasayoshi
日記
元首相が銃殺されて、やはり何か不気味な引鉄が弾かれた。リベラリストたちは亡くなったことを悼みつつ、神格化させてはいけないと躍起になっている。犯人の山上徹也の犯行動機もあきらかになってきた。山上徹也の母親が統一教会信者で、教会に財産を注ぎ込んで、家族が無茶苦茶になってしまい、その統一教会とつながりのある安倍元首相を家族をバラバラにさせた張本人として標的にしたということらしい。もし自分が彼の立場だとしたら、銃を作ることが出来るかわからないが、なんとしても何かしら決行したに違いない。当然、表現としてである。そして暴力もメッセージであり言葉だと思う。圧倒的な。
わたしは日本の戦後民主主義が棄てたものは、敬う心だと思う。どこを向いても、神も仏も畏れぬ不遜な態度をとり続けている。先々、電車に乗り合わせた見知らぬ隣の人間に、いきなり掴みかけられて殺されても不思議ではない世の中がやってくるのではないか。テレビのコメンテーターが耳障りのいい放言ばかりを一日中垂れ流すワイドショーを見ていれば、真面目な無辜の国民が騙されるのも無理ない。
わたしはこの国を愛したいが、現実ではもう愛せるような国ではないのかもしれない。しかしそれでも想い続けることが出来るのは、故郷のことである。頭の中に広がるいつまでも愛おしい故郷。わたしは戦後民主主義で解体されたもの、もしくは解体されずに済んだものを愛し、それをいつまでも標準にして大切にしたいと思う。なんとか自分の表現でもって手繰り寄せ、繋ぎ止めておきたい。
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2022/7/10
http://blueposter.exblog.jp/241771604/
2022-07-10T23:27:00+09:00
2023-04-06T23:28:11+09:00
2023-04-06T23:28:11+09:00
koyamamasayoshi
日記
昼過ぎに府中市美術館へ行く。武蔵小金井駅からバスに乗って向かうが、行き先を間違えてしまい府中駅まで行く。府中駅でバスに乗ろうとバス停に向かうも、それもたった今出たばかりだった。仕方がないので歩いて美術館まで行った。30分くらいかかっただろうか。汗だくになった。
府中市美術館で開催中の「明治初期絵画展」の最終日。笠木治郎吉の絵がメインポスターになっている。なんともひょうきんでみすぼらしい郵便配達夫の絵。この絵をメインビジュアルにするのはなかなか思い切ったと思う。ほとんど似たり寄ったりの絵の中で、アルフレッド・イーストの絵が最も気に入った。彼の絵は絵画なのだ。ワーグマンにしても五姓田にしてもどこか説明的である。ワーグマンなどは駐日特派員としての使命感からか、風景の切り取り方が絵葉書のそれと同じなのだ。イーストだけがアーティストの絵画であった。小林清親の炊事場を描いた作品も素晴らしく、まるでホックニーと言ってもいい。切り取り方が斬新で映画の一場面のようだ。最終日だからか、来場者が多かった。]]>
2022/7/8
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2022-07-08T23:20:00+09:00
2023-04-06T23:22:33+09:00
2023-04-06T23:22:33+09:00
koyamamasayoshi
日記
今日衝撃的な事件が起きる。元首相が選挙応援の演説中に41歳の男に背後から散弾銃で2発撃たれたというニュースが11時半ごろ流れた。わたしは真っ先にスコセッシの「タクシードライバー」を思い起こした。思想が違ったとしてもこれは凶行以外のなにものでもない。これほど国民から好き嫌いがくっきり分かれた政治家はいないのではないか。18時ごろ亡くなったことがニュースでまた流れた。この死が左派右派どちらからも利用されないことを願う。]]>
2022/6/26
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2022-06-26T13:48:00+09:00
2023-04-05T13:49:42+09:00
2023-04-05T13:49:42+09:00
koyamamasayoshi
日記
日野旧仲田蚕糸試験場に赴く。日野にはかつて広大な桑畑と、何十棟もの近代的な蚕室があったらしい。いまはもうその蚕室が2棟だけ遺されていて、地道にかつての蚕業を伝えている。深夜清掃で一緒に働いている方がボランティアでそこを手伝っている。13時半見学会に参加。今現在そこで蚕を飼っているのではなく、ギャラリーのように改装されていてその日は音楽会があった。機会があれば蚕を飼育しているところを見学したいものだ。
その建物のそばには小川が流れていて、近所の子供たちが素足で浸かり、水を蹴っていた。なかなか良いところだった。]]>
2022/6/16
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2022-06-16T13:46:00+09:00
2023-04-06T10:02:05+09:00
2023-04-05T13:47:57+09:00
koyamamasayoshi
日記
11:00 シネマヴェーラ ウクライナ映画特集、「君たちのことを忘れない」を観る。今回の特集を観る最後の作品にふさわしい力強い映画だった。「女狙撃兵マリョートカ」を撮った同じ監督とは思えない。「誓いの休暇」も良かったが、本作のじめじめした感じの方が好みだった。何故この作品が当時、検閲をくらって上映禁止になったのかまるでわからない。むしろ祖国のために戦うということが、どういうことかを真に迫って描ききっていると思うのだが。それに兵役を逃れて、戦後生き場を失うミーチャの青白く痩せ細った姿の悲しさといったらなかった。戦ったもの逃げたもの、戦争の前では誰もが犠牲者であり、兵役を逃れていた者に至っては、一生涯そこで時間が止まり、生きたまま亡霊になる。どこでどう転がるかなど、そこに立たされてみないとわからないのだ。
素晴らしい作品だった。炎を持って平原を駆ける白馬の美しさ。列車の中で兵隊に礼を述べる老婆。泣くステパン。そこでわたしは泣いた。祖国のために戦うとはこういうことなのだろう。
梅崎春生「怠惰の美徳」の中で、己れの中に龍が棲んでいるか、あるいはドジョウが棲んでいるかわからないが、それを生かすには良い水と栄養が必要であるという部分があり、とても良く理解できる。表現におもむくそのときまで、大事に育てなくてはならない。
渋谷から電車で帰り、八王子で途中下車し、くまざわ書店で小野田寛郎氏の本を買う。]]>
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