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パラリンピック水泳バタフライ100m男子決勝、木村敬一選手が金メダル獲得、富田宇宙選手が銀メダル獲得した。木村選手が表彰台で君が代の国歌を聴いて号泣している姿を見て貰い泣きをした。木村選手の表彰式後のインタビューで「国歌は金メダリストの特権。僕らはそうでないと(国歌を聴くことでないと)実感できないと思う」というコメントを聴き更に涙を流した。
渡辺京二の「逝きし世の面影」読了する。
著者は自分の生きた昭和史を知りたいと調べ始めたことをきっかけに、昭和を知るには大正明治を、大正明治を知るには幕末をと対象が遡っていき、その幕末と明治期に訪日して客観的に日本を観察した外国人の滞在記録を主軸に大多数引っ張り出して多角的に考察し、人物、風景、宗教、動植物などかつてあった時代の空気感、実態感、存在感が読み進む側の頭に浮かぶような臨場感をもって事細かく書かれたたいへん重要な名著だった。
いくつも印象的な文章があったが、その中で明治時代の当時の日本の知識人たちがことごとく、前時代の諸々を遅れたもの、恥ずべきもの、疎ましいものとして訪日した外国人に言葉少な気に馬鹿にした口調で語ったという多くの証言が記されていることだ。
訪日外国人の中には、明治維新後、自分たちの近代化された西洋の文化がどっと流入されることで、海に囲まれた小さな日本の中で豊穣に育った愛すべき風景や人物が駆逐され居なくなると危惧しているものもいる。
それはそうであっただろうと信憑性がある。それはのちの太平洋戦争後にも左翼系の知識人たちがこぞって全く同じような言動をみせていたからだ。
モースやハーンが心から愛した光に満ち溢れた国はどこへ行ってしまったのだろう。
庶民のちびた下駄まであらゆるものを収集したモースからしたら、捨てるところは何もなかったはずなのに‥。

私は昭和56年愛知県宝飯郡いまの豊川市に生まれた。
一緒に住んでいた父方の祖父祖母の離れの家の長押の上には、昭和天皇陛下と皇后陛下の御真影が平成もずっと掲げられていた。額の中の人物が誰なのか誰からも説明してくれないし、自分からも聞いてはいけないように感じていた。
母方のお爺さんは瑞鶴に乗っていた海兵で立派な人だったらしい。
それと学校では年に一回、広島長崎の戦争体験を教師から聞いていた。
私の幼少期で見聞きした戦争の残像はそのくらいしかない。
地元では、豊川海軍工廠の戦争記録を展示した資料館を近年開館して見に行ったが、それも戦後80年経ってようやく開館した。
その後中学高校と大人になっていく中で、世の中に国旗掲揚をしなかったり、国旗に向かって起立をしなかったり、国歌を歌わなかったりするよくわからない大人がいるなあと思った。芸術方面を目指すようになり、東京へ出て映画やアート作品に触れると大多数が革新的なリベラルであるということがわかる。街を歩けば、街宣車から大音量で演歌や軍歌を流す右翼団体もよく分からなかった。しかし肌感覚として国を愛することは前時代的で恥ずかしいというような空気感が世間に横たわっていた気がする。鳥肌実がまさにそうで、お笑い、コメディとして愛国はあった。
国旗、国歌を否定したり何故そこまで自分の国を卑下するのか私にはいつ迄もわからなかった。予備校の昼休みに新宿御苑で1人弁当を食べているときに、1人のおじさんが話しかけてきたのでおしゃべりした。この近くに市ヶ谷の防衛省があってそこで昔、三島由紀夫が割腹自殺したと話した。なんで?と訊くとわからないといった。わたしには三島由紀夫もわからなかった。
時は何年も流れて2年前にあいちトリエンナーレで表現の不自由展というのがあり、散々世間を騒がしていたが、あれもわからなかった。何故そこまで国や誰かを燃やしたり踏みつけたり何かを主張するために表現という姑息な手段を取るのだろうか。
そしてあれは確か天皇皇后両陛下の即位式が行われる少しまえだったと思うが、NHKで三島由紀夫が何故割腹自殺に至ったのかの特集番組をやっていて見た。
三島由紀夫は生前右派からも左派からもマスコミからも軍人コスプレをする痛い愛国者として失笑されていたようだ。だが彼が守ろうとしていたものは単に、国や人の肉体だけではなく、精神や精神世界、文学、文化芸術、など高度経済成長の中で失われていくと思われたそれらを護ろうとしていたということがわかる。わたしはその時、三島由紀夫が何をしたかったのかがやっと氷解した。
わたしは、ちょっとした言説で途端に左翼とか右翼に括る昨今の風潮がとても苦手だ。自分はどちらかはっきりしていない。ただし、私が最も大切にする部分が何なのかははっきりしている。それは目に見えざるもの。八百万の神、精霊、霊獣、妖怪の類い。そして感と勘。小泉八雲や柳田國男、水木しげるが愛した世界。あえてそれを自分で括ってしまえば親霊保守になるかもしれない。
この先も自分の生まれた国を卑下し続けて、何がそこに残るのだろうか。
そのことを私みたいなものが思い悩んでもしょうがないし、勝手に結びつける必要もないのだが、ただあの木村選手が流した涙に救われる思いがした。

by koyamamasayoshi | 2021-09-04 22:15 | 日記


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