曇天圧 砂礫観音 いかり錆


曇り空、9時、秋田大学の前を通り過ぎる。
登校している学生の中には、課題で制作したと思われる白い工作物を手に持ち、目の前の横断歩道を渡り校門へ掛けていく。
この辺りは手形という地名で、先の交差点はからみでんという。由来はわからない。


秋田北インターで秋田自動車道に乗り、次の昭和男鹿半島の高速出口で出て男鹿半島に向かう。国道101号を走る。
秋田県は想像以上に広い。一日、男鹿半島に絞り込んでYさんと周遊する。


道の駅「てんのう」に立ち寄り、地元物産のいぶりがっこ、鯛の糀味噌漬け、鰊の糠漬け、比内地鶏ハンバーグ、鰰ピクルスを買い東京へ配送してもらう。
食堂は開店前であったため、朝食に味噌が塗り付けてある焼きおにぎりを売店で買い、
車内でもぐもぐ食べる。



男鹿半島線59号を走ると漁港が見えてくる。
道の脇に造船関係の倉庫とおぼしき場所の駐車場に錆びついた錨が並んでいる。

男鹿マリーナへ続く脇道に入り、市民病院の敷地に沿ってぐるっと廻ると狭い入江にぶつかる。
祭りの提灯のように大きなホヤランプをたくさんぶら下げたイカ釣漁船が碇泊してある。
旅に必携している録音機を岸壁に置き、波のたゆたいに揺さぶられ擦れ軋む音を採取する。

きゅう………ぎょい………ぎぎぎ………きょい………

入江を隔てた先の堤防では大型重機がガコンガコンと音を立てて護岸工事をしている。
重機のシルエットが逆光に際立って見える。

後ろを振り向くとバス会社のバスの待機場で、敷地の隅の案内板の外れた錆まみれのバス停表示看板が、弔う者がない無縁墓のように放置され突っ立っている。

入江を回り込み、大きな造船所の鉄柵の先の堆く積まれた、流木や解体で出たと思われる木材片の山を眺めた。
その姿をさっきからゲートの守衛小屋の窓から不審な眼差しを送る年老いた警備員の姿がある。



造船所に続いた道を引き返し漁業組合の建物の向かいに、赤錆が吹き付けられた白地に、赤い文字でカニとだけ書かれた小さな看板がある。
その看板が寄り添う建物の脇の畔地にもう二度と動くことはない半永久的に停めてあるアルミバンのトラックの荷台に、ガニと同じ書体で書かれている。
そのカニかガニを扱う店から、白いポリ容器に割り箸を添えて出てきた漁港風のおやじが軽トラに乗って去って行った。
これはカニ汁が飲めるのでは、と勝手に思い込み店を覗いてみる。

シャッターを開け放った建物の中で、漁具をホースで水洗いしている作業員が2、3人働いている。
通り過ぎ、隣の店舗のガラス戸越しに店内を覗くと冷蔵ケースに水揚げしたカニが透明な塩ビシートを被って赤々と並んでいる。

店の外側には自動販売機と並んで、熱々のうどんやそばを直ぐに提供するインスタント販売機がテントシートの下に佇んでいる。
お店では汁物を売っている様子がないので、さっきのオヤジが大事そうに持っていた物はこのうどんそばだったらしい。
テントシートの錆びた骨組みから、紐で吊り下げられた一味唐辛子の小瓶が浮かんでいる。
この時代がかったうどんそばの自販機をしげしげと味わうように観察すると驚愕の発見をした。


システムとしては、お金を投入してうどんかそばを選択するボタンを押す。
出来上がるまでの時間が表示され、出来上がると下の取り出し口に用意された熱々のうどんかそばを取り出す。

単純な構造だが、注目すべきは出来上がるまでの時間を表示する部分にある。
今ではデジタルカウントの「日」の字型の電光パネルで0から9の数字を発光表示するのが当たり前になっているが、この前時代のマシーンの表示板の中の電球の中には、0から9までの数字の形をした電熱フィラメントが層になって収まっている。
この美しい造形の電球が2つ、2桁の数字を表すために並んで組み込まれている。
震えあがり驚嘆するより他ない。

近未来への夢の想像力が底知れなかった1970年代に作られたロボットの瞳の様に、吸い込まれそうなこのつぶらな電球の奥深くで煌く銀河系に繋がっている。
男鹿の鄙びた漁港の片隅にあるうどんそばの自販機ボックスの奥に宇宙ステーションに繋がるエレベーターが、人類月移住計画が…。


直ぐ隣の雑貨店に立ち寄る。
外観、二階屋の上方に「船食 天野」の立体文字看板が壁から僅かに突き出ている。
回り込んだ側面の外壁には、煤けたクリーム色のモルタルとひび割れを埋めたコーク剤の白いラインの上に「BOND STORE」の青鼠色が印字されている。
BOND STOREとは何を売る店だろう。

入店し見渡すと、ティッシュや洗剤など日用品を売っている。
何度も呼び掛けるが奥からは何の応答もなく静かだ。
白い丸テーブルの上に郵便ポスト。
壁には大量のカレンダーと色褪せてブルーのインクを多く残した帆船と水着美女が海を背景に飛び跳ねるポスター。
ガラス棚の中にはボトルシップと舶来のボトル酒。
スチール棚には免税品の酒箱が並んでいる。

店外に出て、目の前の漁港の端にぽつんと佇む公衆電話ボックスに目がとまる。
近寄ってボックス内を見ると、電話機ではなく高さ150cmくらいの配電盤の様な形をした、氷販売操作盤だった。
このボックスに車を横付けして、傍らから伸びる無骨な鉄鋼櫓から滝のように氷を降らせるのだろう。



男鹿半島線59号、旅の道に戻る。
漁具を扱う漁業関係の店が道路脇にあり、「深海専用漁具」の手書き文字が目を惹く。
かなり気になる。気になるが実物を見ることなく、目の端を流れていった。


沿岸を進み増川という集落に入り、道が二股に分かれたガードレール横の畔地に大人と子供の交通安全人形が手をあげて立っている。

顔から胴体は、元は消火栓かも知れないが、色々なモノがデコラティブにくっ付き、一体には腕の先の手が反射板で、もう一体の腕の先は通学する子供を誘導する黄色い旗を差し込むパイプになっていたりと、魔改造されているので素材がどうとかいう浅いことが気にならないくらいに表現になっている。
硬いヘルメットのようなものを被り、ツバの下にのぞく顔の表情は繊細に描かれている。

大人の像はピンクのトレーナーにピンクの花柄のスカートを履いて、当たり前のように巨乳だ。
大概どこへ行ってもこうした像はグラマラスに作られる。
子供の像は子供の像でピンクのTシャツを着ていて、胸の膨らみはないが、Tシャツにヌード美女が自分の胸を鷲掴みしている写真がプリントされている。

わざわざこのプリントTシャツを選び着せることは作者の想いがあるはずだ。
作る行為とエロスには深くて暗い川があり、誰も渡れぬ川なれど、えんやこら今夜も舟を出す、くらいに切り離すことができない。
意識して作らずとも潜在的に存在しこうして表出してしまうのだから。


増川の浜で漂着物などの寄り物を探して歩いた。
男鹿半島の内海では波は低く穏やかだ。
防波堤には数十羽のかもめが首をすぼめて休んでいる。
珍らしい寄り物はなく、栄螺らの貝類が多く寄っていた。
プラスチックゴミは少ない。

道路から浜へ降りるコンクリートの階段には、流木や流れ着いたブイ等で作られた手製の手摺りが設けてある。
いや、ひょっとすると手すりではなく、何かを干す干し場かも知れない。
干し場にしてもとても心許ない構造だが、しかしその造形はあるものだけで組み合わせた即興的な美しさを湛えている。



海沿いの小さな漁港をいくつか回るといつの間にか海から離れた高い断崖の上の道を走る。
道の下の加茂青砂という小さな集落が海に挟まれてひっそり岩壁と張りついているのが見える。
どこへ出掛けるにも海路の方が近いように思えるような厳しい環境にも永々と人の営みがあるんだ、と背後に過ぎていく集落を見て感慨深い思う。


時折細かい雨が潮風にのってフロントガラスを叩く。
男鹿水族館を通り過ぎ、湾に入り戸賀という漁港の集落では、道々に小さな漁具小屋が並ぶ。
防波堤の内側の浅瀬の磯の上に八畳くらいの木造小屋が目を惹く。
鉄パイプで四隅を支えた上に隙間だらけの肋骨のような板屋根が載っているだけで壁面は一切ない。
屋根の下には2畳ほどの縁台が屋根の隙間から差し込んだ日差しを受けている。

その縁台で防波堤に打ち寄せる波音と、ラジオから流れるちあきなおみの歌声を聴き、徒らに鳴くかもめらを見るともなく見ている。
何の責任も、金も、家もない藻屑のような自分が、そこに寝転んでいる幻影が浮かぶ。



再び行く道は断崖の高い道を走り、男鹿半島の突端の入道崎に行き着く。
入道崎の高台の大平原の中、何も遮るものはなく、断崖の先の広い海と重い曇天を背景に、枯れ野の上に小さな灰色の仏像が立っている。

道路から100m先の灰色の点に向かって踏み固められた草の道を歩み寄る。
断崖の向こう側に、荒波に耐え続ける岩礁が泡立った白波の上に見えている。

荒組みした石の上の台座の上に、風雪に耐えかねて摩滅した観音菩薩像が立っている。
台座の前には船名と船員の戒名と俗名が御影石に刻み込まれていた。
沖で亡くなられた船乗りたちの霊魂を弔う為に建立されている。


荒波打ち寄せる断崖沿いを目でなぞったその先に、入道崎灯台の白と黒の横縞が見える。
雪国では遠くからでも目立つように黒白のストライプになっていると、灯台に詳しいYさんがいった。


灯台近くの売店や土産屋はことごとくシャッターを下ろしていて、数軒の内ただ一軒だけお店を開けていた。
古い土産屋の埃をかぶった情けないポンチな脱力する土産品を好んで買い求める自称、土産屋探検家として、素早く店内に目を走らせ匂ってきそうなものを物色する。
触手が伸びるものがないように思われたが、一点売り物ではないオブジェクトに惹かれた。

二股にわかれた木を彫刻した造形物で、二股の股の字そのままに女のヌードトルソ像を作っている。
大小二体あってどちらも胸の膨らみ、突き出た乳首、豊満な腰つき、それを支える肉付きのよい太腿を丁寧に彫ってある。
白いヤギ髭のような腰蓑が腰に巻かれている。
股の部分の樹皮だけが取り去られず残し内側に喰い込み、見事に女性器を表現している。

小さい方の像は何故か子ども用のスプーンの柄が股の中に差し込んである。
小さい方の像を手に持って、このスプーンで何かを掬う動作をしてみたが、股から伸びた太腿が邪魔して思うように使えなさそうだ。
実用的ではない。
どういうこと?
と疑問に思ったが、どうせ深い意味などないし、考えもなくナチュラルに作っているのだから、これでいいのだ。


灯台へ続く遊歩道のすぐ側に建つ土産屋の看板に「UFOの映像が見れます」の文字。
埃で曇ったガラス戸の中には、わくわくするようなどうしようもない愛おしい土産たちの片鱗が見えたが、残念ながら閉まっていた。
冬の旅は寒々とした苛烈な自然に身を放り出し、侘しさと共に歩き、さびいさびいと、ただポケットに手を突っ込み小さな温もりを得ることが至上の恍惚に感じることができるが、反面こうした愛しの土産屋たちは大概冬籠もりをしてしまう。



男鹿温泉に立ち寄る。
「雄山閣がいいらしい」とYさんが地元の人か同僚かに勧められた温泉宿に行く。
館内ロビー、廊下の壁には投宿した著名人の写真とサイン色紙が並ぶ。
若かりし日の杉村春子の写真が飾られていた。
浴場へ続く階段や長い廊下を迷子の子のようにきょろきょろしながら進むと、一室に菅江真澄関連資料室が設けられていた。
菅江真澄は江戸時代の民俗学者ともいえる人物で、生国の三河から陸奥、蝦夷まで巡歴し、後に秋田藩のお擁となり、秋田の民俗、風俗、風景などを絵付きの紀行文にまとめあげた学者だ。
今回の旅の前に宮本常一の著書「菅江真澄-旅人たちの歴史-」を読み予習をしていた。
風呂上りに寄るとして先ず温泉。


脱衣所で裸になっていると浴場から湯を撒くような音が聞こえる。
他の脱衣籠は殻で先客はいない筈だが。
浴場の戸を開けると湯けむりの中、広い浴槽の一角に大きなナマハゲのお面が掛かっている。
その口が塩ビパイプを咥えるように伸びていて、塩ビパイプの先からボスッボスッと源泉が噴き出している。脱衣所で聞いた音はこれだ。
シャワーで身体を洗い湯に浸かった。
運転三昧で凝った肩が一気にほぐれていくようなとても気持ちのいい湯加減だ。
Yさんも遅れて入ってきて、滲み入るような恍惚の声を上げる。

浴槽の縁には温泉成分の一部が鉱質化して出来た網状の文様を作り上げている。
ナマハゲの塩ビパイプから噴き出る源泉がもろに掛かっている縁は周囲よりも厚い層を作り上げている。
鍾乳洞の筍のような造形を作る原理と同じなのだろう。
ただ不思議なのはなぜ網状に鉱質化するのか。
一層目の成分が網状に分散しても不思議ではないが、そこの上へ次々と成分が同じ部分に何故積層していくのかが一考にわからない。
湯に浸かり、縁の鉱質化した網文様を指でなぞり、空想などしているうちにYさんは先に上がっていた。

浴場から別の戸を開けて階段を降りた先に露天風呂がある。
入ってみると浴室の湯よりもぬるく、その上外気が濡れた頭と肌を冷やすので早々に引き返す。
ボスッボスッと噴き出す源泉近くに浸かり冷えた体を取り戻す。

脱衣所には温泉が作り出す芸術として輪切りにした塩ビパイプが2種類飾られていた。
一つは切り口を見るとバウムクーヘンのような綺麗な円の層の断面が詰まっている。
もう一つは塩ビパイプの切り口に鉱質化した半円の層が円の下半分を埋めていた。
先の塩ビパイプは縦方向に、後の塩ビパイプは横方向に配管し温泉を引いたものだ。
何年でこうなるのかわからないが、温泉の手入れは骨が折れるということが解った。


さて菅江真澄の資料室。
菅江真澄は巡歴した先々で紀行文を膨大に書いていたと推察されているが、それらはほとんど残っていないという。
それは藩内の民衆の生活を凄惨な飢饉を克明に記したため藩に取り上げられて失われたとされている。
秋田藩では藩の後ろ盾があり思う存分書くことを許され、安心した居食が得られる。
お上の仕事とはいえ菅江真澄の眼差しは民衆に寄り添い、小さきものの存在に耳を傾け記録しているように思う。

この資料室には主に男鹿半島の風俗、伝承、風景画が展示されていた。
大きな火の玉が海上に浮いている真澄が描いた絵を大きく複写した絵が展示されていた。怪異譚も収集していたようだ。
芭蕉と曽良が同じ旅をしていて、隠遁者である筈の芭蕉が作品を意識していたのに対して曽良は事実をそのまま脚色することなく自分の為の日記を書くことに徹している。
どちらも良い悪いはないが、真澄は事実を有りのままに書くと記録を残すことが出来ないと悟り、多少脚色し誰かに見せることを意識した作品としての紀行文を書く道を選んだのだろうと想像する。
秋田の人々にとって今も親しい偉大な人物だということが、資料室入口に立て掛けられた菅江真澄の顔はめパネルを見て一層思った。



すでに14時近い。
食いっ逸れないように雄山閣へ来る途中に食べられるところはないか、車窓から2軒のラーメン屋を確認していた。
雄山閣から温泉街へ繋がる道を下り、一軒目の店の前まで来ると暖簾が下げられていた。
もう一軒のラーメン屋は運良く閉店10分前に入店することが出来た。
カウンターの大きな水槽の前に並んで座る。
落ち着いて油断している魚が優雅に翻って泳ぎ、栄螺とあわびがガラス面に肉面を密着して同居している。
ひくひく伸縮する肉面がとても美味しそうに見える。
座敷の小あがりには三味線が立てかけて置いてある。
夜の営業時間に生演奏が聴くことができると、店内のチラシに書かれていた。
注文したい赤鬼味噌ラーメンは、好みのちぢれ麺でいい味だった。


温泉街の中心部まで行かなかったが、ラーメン屋隣りのスナックの外観を拝んだだけで充分だった。
古びた白いモルタルの二階屋が道路の下に建ち、道路から一階部分の店舗入口へマッチ棒のような繊細な鉄さびの階段が下へ垂れ、平行して骨だけ残った弓形のテント屋根が浮いている。
道路から別の錆びた階段が二階の店舗の白い扉と、緑青がふいた10円玉のような毒毒しい扉に向かって伸びている。
建物の外壁と店看板の平面に、道路から上り下りする階段の骨組のラインが立体感を際立たせ、薄墨をなぶり掛けたような外壁のしみと失せたテントと赤錆びが時間軸を曖昧なものにし、時空の海を漂っている。



男鹿半島北側の道を行き大潟に向かう。
間口浜の海沿いの小さな集落には、間近の日本海から運ばれる潮風に耐え忍ぶ農具小屋が連続している。
継ぎ接ぎに打たれた小屋の壁板と、ささやかな畑を囲い打ち立てられた灰色の板の壁が、墓場に乱立する卒塔婆のように見える。
Yさんとカメラを手に撮影していると、背後から目の前を異様なトラックが抜き去っていった。
「凄いトラックが!」
Yさんに声を掛けて急ぎ車に戻り急発進する。


海岸沿いの見通しの利く道の先にトラックが小さく見える。
追跡する道の先が大きく右にカーブし、そのガードレールの向こう側の断崖の上に骨だけになった小屋が壁一面だけ残してかろうじて立っている。
あとひと掻き棒倒しのように土をかき取られたら全壊して海に落下する絶妙なバランスを保っている。
パシとカメラで撮り、猛スピードで再追走、引き離されてしまった。

安田という集落で、国道から逸れて角間先方面に脇道を走るトラックのケツが見えてきた。
追いつき改めて見る。
橙色の幌付きトラックは、幌の中が丸見えの荷台に大きな石炭ストーブか薪ストーブを積載し、幌から突き出した煙突の先から白い煙をもくもく上げて走行している。
幌の枠に合わせるように上方には雲文様、下方には流水に鯉が跳ねている文様が、橙色の地に銀色の線で描かれた書き割りパネルが嵌めてある。

なんだ?焼き芋屋だろうか?煙を吐きながら?

トラックのケツにビッタリくっ付いて車内から食い入るように幌の中を覗き込み続ける。
やがてトラックは道の端に寄り、先に行ってくれと合図を出した。
抜き去りながら運転席を見ると、同じ不思議そうな顔をした爺さんと目があった。


もやもやしたまま過ぎ去った風景が多かった旅だが、爺さんが何者で何をしていたのか後々まで気になっている。



国道101号の旅の道に戻ろうと、五里合という狭い道の集落を通る。
そこに、ビューティーサロンまりこという山小屋風の理容店が待ち構えていた。
振り袖姿の女性が電灯に浮かび上がる看板にまりこの文字と共に張り付いている。

田んぼの広がる道を進んでいると運転席側の道路脇に様子のいい農具小屋が目に入った。
駐車して撮影しようか逡巡する一瞬、助手席側の風景を見ていたYさんが、
「すげーのがあった。大竹伸朗の作品みたいな、すげーのがあった」といった。
引き返すしかあるまい。

それはそれは素晴らしいボロい木造の建物だった。
ボロのお手本と言っても言い過ぎではない。
ボロいが和洋折衷の様式美があり、ところどころ手の込んだ細工を残している。
かつての郵便局だということが、建物正面の屋根瓦中央の円の中に盛り上がっている〒マークでわかる。
廃墟のように荒らされているという感じはなく、局員か村の人が管理する倉庫になっているようでガラス窓越しに中を覗くと色々なものが詰まっている印象だ。
丁寧に調査して維持すれば希少な文化建築物として日の目をみるのではないかと思うが、それは地元の人からしたら余計な事かもしれない。

先ほど気になった向かいの農具小屋に近寄り撮影する。
この農具小屋は平面性において未だかつて見たことがなく、群を抜いて美しい絵画的な小屋だ。
色の構成、色面の大きさ、配色、構図が完璧だ。
色のバランスは
赤色が部分的に剥げた黄味がかった灰色:5
濃鼠色:2
白色:2
濃鼠色と白色を混ぜた灰色:1
白色のトタンが全体を引き締めている。
たとえこの小屋が美術館に展示されていても不思議ではない。
そんな美術館があったらその企画をした学芸員を褒め称えたい。

そこへ犬を散歩する親子が、何で?という顔をして、撮影している横を通り過ぎた。
その先の古い郵便局を見つけた親子は、あー古臭いモノが好きなのねと合点がいったようだった。

車を走らせてまた直ぐに見落とせない建物に遭遇する。
建物外壁上方が海底のエイの姿の奇抜なデザインをしている。これは住居だと思う。
同じ敷地内に、深緑色の外壁に50箇所も窓が付けられた、妖怪百目のような身震いする倉庫がある。
倉庫正面から見ると倉庫の形が凸の形をしているので、おそらくタバコ乾燥小屋か蚕小屋としてかつて使われたものと思う。



Yさんが
「引き返して行くか行かないかが、わかれ目だと思う」といい、同感だと思った。
しかし、後の三厩のラッシュには、
そんな3歩進んで2歩下がる水前寺みたいな考えではちっとも前に進まないことにもなる。
砂浜に打ち寄せるささやかな漂着物は愛おしく感じるが、吐くほど手に負えない膨大な漂着物はただのゴミだ。
時と場合、それと適度な量がそのものをどう見せるか作用する。



それはそうと、入道崎のあの人形の股に突き刺さったスプーンの真相がふいに解り、あれは「掬い(救い)ようがない」という駄洒落なのではないかと、Yさんに名推理を伝えると、そうかもしれないと優しくのってくれた。



八郎潟大干拓地の大潟へ入る。見渡す限りの先の先、そのまた先まで田園地帯が広がる。
上空を大きな鳥が群れで連なって飛んでいる。
車外に出て飛び去る群れを目で追うとハクチョウだった。


ガソリンスタンドで給油して、道路の向かいの道の駅「おおがた」に立ち寄る。
物産館で、美人を育てる秋田米 あきたこまちの米袋で作ったエコバッグを買うか買わまいか10分くらい悩み、秋田と関係ない熊本産の草枕という甘い蜜柑を買った。


大潟の菜の花ロードを進む。広い田圃の中にハクチョウの群れが休んでいるのが見えた。
農道に車を停めて、ハクチョウが逃げ去らないように牛歩で近づいて行く。
100mくらい距離を詰めたところで一羽二羽と隣の田んぼにヒョコヒョコ移って行く。
100mの間隔を保ったまま歩み寄るごとに、ところてん方式に見えない空気を押すように隣の田んぼへ続々とハクチョウがなだれ込んでいく。
用水路が歩く先を遮り、そこで足を止めて録音機を取り出してハクチョウの鳴き声を採取する。

Yさんは用水路を飛び越えて静々と距離を詰めている。
群れの何羽は距離に耐えかねて大きな翼を広げて夕陽に向かって飛び去っていった。
その姿に見惚れて立ちすくむ。
赤茶けたサビ色をした用水路の上流から、同じサビ色に塗れたカエルが流れに身をまかせて流れてくる。
ころんころんと転がり目の前で止まったカエルは、酷く弱っているように感じた。

目線を上げてYさんを見るとハクチョウに擬態するように腰を屈めて逃げ遅れた数羽に向かって尚も距離を詰めている。
残りにハクチョウも逃げ去り残念ながらハクチョウとして認めてもらえなかったようだ。

車に戻ったYさんが、「あげるよ」とハクチョウの白い羽根を手に持っていた。
「息子さんにあげて下さい」と一度断ったが、ダッシュボードに残っていた羽根をのちに見つけて、今は大事にとっている。



16時、金足へもう1か所寄る予定だったが夕闇迫り、帰路を走る。
夕陽が見えることを期待して海岸沿いの59号線を走るが、西の空には厚い雲が遮り、切れ間から茜色の光線が僅かに漏れるばかりだった。
風力発電所の大風車群が連なり、遠近感とスケール感を麻痺させる現実離れした光景を作り出している。
「人間のすることは途方もない」
二人して驚嘆の声をあげた。


17時、Yさんの家に帰り着き、Yさんは大学の用事に出掛けて行った。
俺は閉館1時間前の秋田県立美術館へ向かった。



コンクリート打ちっ放しの四角い箱の形の美術館の中、螺旋階段を上り、ミュージアムショップの先の展覧会受付で観覧チケットを買う。

入って直ぐに藤田嗣治の大壁画「秋田の行事」が目に飛び込んでくる。
ただただ圧巻という他なく、息を呑む。
閉館間際に他の来場者はなく、贅沢に一人、縦3.65m横20.5mの大作に向き合う。
竿灯まつりや三吉神社の梵天まつり、紅白幕の小屋掛け舞台の奉納踊り等の伝統行事と、箱ゾリで遊んだりかまくらで接待する子供らや、切り出した秋田杉を運ぶ荷馬と人足らの姿などの雪国秋田の暮らしぶりを、重い鈍色の空と、人足らの足跡で踏み荒らされた真白な雪が照らし出し活き活きと描かれている。

大画面の構図が見事だ。
画面右から紅白幕の舞台、露店の市松文様の抑えた色調の幔幕の色面構成がリズミカルに詰まり、隣の梵天まつりの場面の鳥居の上部が画面をはみ出し広がりを見せ、石段を駆け下りる祭り衆が地面の雪に突き刺さるような角度で動き、その動きを引き継いだ隣りの竿灯まつりの群衆が持つ竿灯がダイナミックに画面左上の曇天に突き上げる。
その下に対照的な静かな雪国の静かな営みが続き、画面左に向かって積もった雪が深くなる。
別の時間と空間をコラージュのように画面内に構成しているため、一つ一つの視点は一定せずちぐはぐではあるが、それすらも観ていて楽しい異時同図になっている。
貼り合わせた平凡な群像にさせていないのは、画面を大きくうねる祭りのダイナミズムとその下に踏み荒らされる無数の足跡が大画面の隅々まで視線を運ぶ。

見上げていた大画面を3階の回廊から真正面に鑑賞でき、画面の動きがより確認できる。
3階展示室の企画展では藤田の大学時代の絵や、師の黒田清輝の絵、渡仏先から妻の鴇田とみに宛てた書簡が展示されていた。
2階に戻りこの大壁画を描くために、実際に行事や暮らしぶりを取材したスケッチを見ることができた。
この鉛筆を走らせた即写のスケッチが上手いのなんの。

閉館まで大画面の前に置かれた木製のベンチに座り、渇いたスポンジのように欲を捨て去って吸収し味わう。
15日間で怒涛のように描いたという藤田の集中力に驚かされる。


強烈なものに対峙し、どっぷり浸かったことで湯あたりしたように急にどっと疲れてベンチでいつの間にか眠っていた。
10分くらい寝ていたようで、俺はフランダースの犬のネロかと心の中で苦笑した。
でもそんな風に死ねたらどんなに幸せなことだろう。







by koyamamasayoshi | 2019-12-26 15:32 | 日記


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