妻有鷲眼記⑼ 海老と東山
4月下旬、作業が一段落して知らない道を開拓しようと夕暮れに車を走らせた。
松代の城山の途中、十日町方面と松之山方面の分岐を左折して十日町方面に向かった。
松代十日町間を北越急行線ではたった一駅の区間なのに、車では国道253号を利用して田沢トンネル、犬伏トンネル、薬師トンネル、名ヶ山トンネル、鐙坂トンネル、吉田トンネルと幾つも通り抜けて十日町の市街地へ出る。
山々のどてっ腹を貫く長い長いトンネルを利用するたびに、俺をモグラの気分にさせた。
毎日、地図やナビを眺めては、この味気ない車窓以外の道を探していた。
城山を左折した先の池之端には河岸段丘の高低差が見事な美しい棚田が点在している。
河岸段丘の高い位置で川をはさんで橋が結ばれている。
橋の袂からむこうの袂へ辿り着くのに、この宙に浮く道を利用しなかったら半日もかかりそうだ。その長い橋の向こうから一輪車を押したお爺さんが横風を受けて畑仕事から帰ってくるのがわかる。
そこからどこまで進んだだろう、陽が沈み視界が闇に支配されつつある。
不慣れな山道に不安を覚えつつも、ヘッドライトの先の濃い霧に幻想的なものを感じる。やがてあたりは真っ暗に塗り込められ、車は闇の虜になる。
そこに2、3の人家がヘッドライトの先にみえる。
そのうちの一軒の小さなガラス窓からは暖色の灯りが洩れ、山村のほくほくとしたあたたかな営みを想像させる。
かなり山に入り込んだ僻地に人が暮らしている。
山道沿いの看板を見て、どうやら海老(かいろう)というところへ来たようだ。その先で十日町と東山という集落への分岐に辿り着く。
十日町方面へは冬期通行止めの柵が入口を塞いでいた。東山方面へも、すこし進んだところで通行止めの柵が入口を塞いでいた。
この先どこへも抜けられないと察して池之端まで引き返す途中、下山というところで犬伏方面に抜ける道があることに気が付いたが、ここでも入口に冬期通行止めの柵が塞がっていた。
結局どこへも抜けられず松代城山へと戻った。
翌日、十日町方面から、昨日の海老の先がどこまで続いているのか気になり確認に向かった。
信濃川西岸の高島から「鉢の石仏」のある鉢を経由して名ヶ山へ登った点に海老への県道427号の入口がある。しかし残念ながら冬期通行止めの柵が塞がっている。
後に調べてみてわかることだが、この県道427号の名ヶ山から海老までの封鎖されている間の道は激狭険道としてバイク乗り自転車乗りの間では知られているようだ。
午後の早い時間に作業を切り上げて、再び松代側から海老へ向かった。
松代から十日町へ向かう国道253号の田沢トンネルに入る手前に田沢集落がある。昨日、下山からの入口は柵で塞がれていたがどこまで行けるか田沢側から入ってみる。坂道を登り途中、桜の木の間からUの字にはっきり蛇行している川が眼下に見える。そのUの字の内側にステージのような美しい田んぼがくっきりと周囲から浮かび上がって存在している。
この田沢集落はこじんまりとした集落だが、かつて日本のどこにでもあった農村の風景を凝縮したコンパクトな懐かしさを漂わせながらいま尚息づいていると感じられた。
道を登って進んで行くが特に道を塞ぐ柵は無かった。
道の先々に小さな棚田が点在し、その内の水が張った一枚に色鮮やかな羽根の鳥が静かに浮かんでいた。2羽のオシドリだ。
止めた車の窓から凝視すると、ツーっと背を向けて奥へ流れて行った。
狭い道に軽トラックの対向車が来た。ギリギリですれ違い、しばらく行った先で昨日見た通行止めの柵が背中を向けて道の真ん中に見えた。
地元の農家さんはその柵の横から進入して、柵の内にある田畑で農作業をはじめているようだ。
昨日は薄暗くて良く見えなかったが海老に向かう途中に真田というごくごく小さな集落があった。人家がどのくらいあったか思い出せない。そこの集落に入り込んだ先には、この上なく美しい棚田があったと記憶している。それは高台から見下ろすような棚田だったと思う。見栄えの美しさだけではない。過酷な自然のただ中にポツンと取り残されるようにある棚田の存在に山中に暮らす人間の生命力をひしひしと感じたのだった。
海老に着く手前で土木業者と思われる軽トラックとすれ違う。昨日と今日で、この山道ですれ違った車はこの軽トラックとオシドリのあたりですれ違った軽トラックの2台のみ。人家があるので郵便配達もやって来るだろうが、寂しい僻村ではほとんど人と行き会わない。
まもなく海老の分岐に着いた。塞がれている柵の横を通り抜けて日の射さない雪溜まりがところどころ残る薄暗い道を十日町方面(名ヶ山)へ進んだ。
曲がりくねった道を行くと見晴らしの良いところへ出た。そこに石碑が建てられていたが何と書かれているか確認しなかった。
雨が降ったのだろうか、行く先の道が濡れて濃い色をしている。それは、道の脇から溜った雨水が沁み出して道を濡らしているからだった。
徐々に道幅が狭くなり、道幅が車一台の車幅と同じになったくらいで気が付いた。右側が断崖絶壁になっている。しかもなんとガードレールがない!
破損して無くなっているのではなく、元々存在していない道らしい。
前方をみるとこんな酷い道がずっと先までくねくねと岩壁伝いに続いている。
おい!!これ、対向車がきたらどうすんだ!!
道が濡れている上に左側の岩肌からごろごろ転がり出たと思われる石が散乱している。その上をタイヤがガタガタいわせて極めて危なっかしい。
濡れた路面には自分の車の轍ではない跡が前方に続いている。
これ誰か行ってんだよな。大丈夫か!?行けるのか?
500mくらい進んだ道の先に絶望の光景をみる。
なんと左側の岩壁が崩れ土砂が行く手を完全に阻んでいた。そしてそこに一台の重機が一緒に佇んですべてを物語っていた。
あー、何てことだ。…どうしよう。
どうしようっつったって戻るしかないよなあ。
ここに居たってしょうがないし。
バックにギアを入れて後方を見ながらゆっくりゆっくり戻る。
必死の二文字しかない。
さっき見ていた、誘い込む罠のような轍はここに重機を運んだあの軽トラの轍だったのだ。
そんなことに気付いたところで、とりあえず今だ。
左側の路肩の岩壁に車体を擦り付けてでもいい。
とにかく右側の奈落に落ちないように神経を研ぎすまし意識を集中させる。
滞在してまだ3日目というのに、なんて目に遭うんだ。
まだ何も作っていないぞ。落ちたら東京から死にに来たようなもんじゃないか。
こんなところで死ねるか!
後方を見るとまだまだガードレールのないおぞましい道が続いている。
展開出来るような幅もまだ見えて来ない。
慎重に…油断しないで…ゆっくり…。ハンドルを握りながらそう口に出して運転した。
永いように感じたが実際はそうでもなかったのかもしれない。
俺は地獄のような道から生還した。
全身全霊が風船の空気が抜けるように安堵した。
それほど恐ろしいところだった。
その後、滞在する中で地元の方にこの道の話をすると、あの道は地元の人間でも危なっかしくて通らないと語り、かつてバスが通っていたなんて嘘みたいな話をする人もあった。
そして海老の分岐のあの激挟険道とは別の道、あの先にある東山という集落のことを想っていた。
集落ごとの道の草刈りのことをこのあたりでは道普請という。
東山へ通じる道は東山の三軒の家の者だけで道普請をするが草刈り機ではなくて、隅々まで綺麗に手で道普請するんだと、別の集落の人物が教えてくれた。
結局訪れることのなかった東山。
田舎の人間が東山は田舎と語る。それは間違いなく僻地中の僻地だろう。
日本屈指の豪雪地帯の山また山の奥で、三軒の家はどのような暮らしをしているのだろうか。
夕暮れの田んぼで、はざかけをしている誠実で働き者の農家の真っ黒いシルエットが3人思い浮かぶ。冬の暮らしは俺には到底想像すら出来ない。
小山真徳 展覧会情報
by Koyama Shintoku
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