妻有鷲眼記⑷ 種の記憶

妻有に滞在して作品制作の傍ら野菜を種から育てていた。


初心者でも育てられそうな葉もの野菜を数種類と、中玉、小玉のトマトの種を選んだ。

今回の作品「狗鷲庵(いぬわしあん)」は農作物の害鳥害獣による被害対策をテーマにしているので、実際に農作物を育てることで農家さんの気持ちをすこしでもわかろうと考えた。



4月下旬、残雪が疎らに残る棚田を目の前に、

四本脚の蜘蛛もような形の白い建物の下で作品制作をしていた。

目の前の棚田との間に小川が流れていて、そこからはカジカガエルが鳴き、周囲の田んぼからはアオガエルが鳴いている。

スズメ、セキレイ、アオジが原っぱで戯れて、上空ではヒョロヒョロとトンビが旋回している。

サギやカワウは目の前を頻繁に出掛けたり帰ってきたりしている。

一度、目の前の森からタカが姿を見せて、この白い蜘蛛の建物にとまっていたこともあった。


この蜘蛛の腹の下で作業をしていると、季節の移り変わりがゆっくりとだが感じられた。

弱々しい種のポッドを、あたかもこの蜘蛛が小さな命を植え付けるようにこの蜘蛛の腹の下の日なたに並べた。

作業の傍らでそれらの成長を見守った。


棚田の山から霧が降りてきて蜘蛛の脚と脚の間に吹き込む。

日中も冷え込む山間部では成長が遅いように思われたが、2週間目になる頃にようやく若芽が、頭に種の殻を冠って顔を出した。

小さな命が生きようとし始めている。そのことに純粋に感動する。


原っぱとの境にポッドを並べているため、足元に気付かない観光客に踏んづけられたり、子どもに泥団子のようにぐちゃぐちゃにおもちゃにされたりと哀しいことも起きたが、受難を乗り越え成長した苗たちをやっとプランターに移し替えるときをむかえた。


密集したままの株は栄養分を奪い合って成長に悪影響なので、生育の遅い株を抜いて一本化する「間引き」をしなければならないらしいが、その生育の遅い株にさえ感情移入してしまって話し掛けているほどなので、そんなかわいそうなことは出来なかった。


天気のいい日は蜘蛛の腹の下から陽のあたるところまで30、40個もあるプランターを引きずり出し、雨の日は腹の下の雨が吹き込まない場所までプランターを引込んだ。


5月下旬、作業場の引っ越しに伴い、プランター達も引っ越しせざる終えなくなった。しかし次の作業場は街の方にあり、プランターが置けるような場所がない上に作業場に水が通っていないので一緒に連れて行くことが出来ない。

そこで、宿舎として利用している青少年研修センターの裏庭に、管理人の許可を得てビニールハウスを建てることにした。


高さ2m、幅2m、長さ4mの大きさを想定し、周辺の草をあらかた毟ってから、スコップを突き立てて地中に縦横無尽に張りめぐっている蔓や根っこをひっくり返して叩っ斬る。

拳よりも大きな石も泥土に混じって埋まっている。それを放り出しつつおこした地面を平にする。

そこへ赤レンガを並べその上へ、狗鷲庵で出た残材、余り材で作ったビニールハウスを建てた。


雨風に弱いトマトを優先的にビニールハウスの中へ入れ、入りきらない赤紫蘇のプランターはビニールハウスの外へ並べた。



毎朝、街の作業場へ出掛ける前にハウスのトマトらに水を遣りつつ、わき芽をそのままにしておくと実や株の生育に影響があるというので、見つけたら指で折って取り除いていた。

そのわき芽を観察すると、どのトマトも一番最初に着く花房の付け根から出て来ていることに気がついた。なぜおなじところから出るのだろう。


植物は隣に親が居て、教育を受けながら育っていない。わき芽を出す位置だって周りから教わっていない。

ということは、その知恵と意識をあの小さな種が記憶し受け継いでいるということになる。


その事を思い付いた瞬間、驚愕しこの地球に存在するすべての植物が尊く思えた。

紫蘇の種は目糞ほど小さいのだ。その中に先祖の記憶が継承されている。9月下旬十日町を去る時に、知り合いになったお爺さんから貰った大賀ハスの種にいたっては2000年以上むかしの太古の記憶を宿しているのだ。

季節を知っていて、花を咲かせ、実を着ける時期を知っている。

人間の知らないところで植物たちの悠久の意識が存在している。

はじめて野菜を育ててその事に気が付いた。



ハウスを建ててからオニヤンマや青白いトンボ、クマバチ、スズメバチ、バッタ、アオガエルなどさまざまな虫や動物が訪ねてくる。ハチは花房の交配を手伝い、アオガエルはジョウロの水を避け、わさわさと育った赤紫蘇の葉っぱ伝いに逃げ回って遊んでいる。それとも葉っぱに付いた虫を食べてくれていたのかな。

はじめて気付いたことのついでで言えばバッタの排便方法である。

目の高さにバッタが居たので観察していると、チューブから歯磨き粉を出すように意気んだ尻からニュッと円筒形のクソが出現し、それを後ろ脚でチョイチョイとクソを引きはがすのだ。



日は経ちパクチーは食べるのが追いつかないほど成長し、焼きそばやトルティーヤの中に入れて食べた。バジルや大葉も収穫しパスタなどに入れていたが、パクチーもバジルも大葉も全部薬味であり、それだけでバクバク食べるものではないことに気付いた頃には盛大に成長していた。

赤紫蘇は100株くらい育て、4、5回にわけて寸胴鍋で煮て、すべて赤紫蘇ジュースに変えた。2Lペットボトル10本分作り、自分で飲んだり、食べきれないバジルや大葉を付けてひとにあげたりした。


トマトもピンポン玉大の実を着け始めた。自分で育てた実は格別甘く感じた。



7月下旬、20個ほどあるトマトのプランターの中から半数のプランターを選び、街の美術館に展示する自身の作品の中へ搬入する。普段は20分もかからない宿舎から街までを、主要道を避け山道、農耕車道の回り道をダラダラと徐行で1時間半かけて軽トラで運び込んだ。荷台に載せた娘を街へ嫁入りさせるようなものだ。

大きく色付いた実を見て、街で知り合った農家さんに、良く育てたねと褒めてもらった。



8月上旬、ビニールハウスのある宿舎から別の宿舎に移らなければならなくなった。ハウスの野菜の面倒を見たかったので残りたいとごねたが聞き届けられなかった。


宿舎の掃除をされている女性に、どうか面倒を見てもらえないかと相談すると引き受けていただけた。

女性は、フェデリコ・フェリーニの「道」みたいですね。といった。

訊くと、エピローグでジェルソミーナが育てていたトマトの苗を街のひとに託して街を去って行くシーンを思い出しました。という。


そんな場面あったか、俺には全く思い出せなかったが、気持ちを受け取ってもらえたようでとても嬉しかった。





9月中旬、ビニールハウスを撤去する。

何もないその跡に、プランターから移したトマトと大葉を一株ずつ植えた。


おそらく冬を越えられないだろう。

それでも彼らの種が、あの日、軽トラで通った山道や、俺の作った作品を、奮闘していた日々を記憶して未来に伝えてくれるのではないかと、淡い期待を抱いている。









by koyamamasayoshi | 2018-10-03 19:12 | 日記


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