妻有鷲眼記⑴ 人魚の宿
一昨々日から昨日までお世話になっている奥能登珠洲の製材屋のSさんが作品を観にきてくれた。
あらゆることに疲れていた俺は遥々来てくれたSさんに愚痴ばかり聞かせてしまった。
Sさんが帰っていった夜、「どんなことにも意味があると思います」というSさんの純真な言葉が能登から届きボロボロと涙がこぼれた。
ごちゃごちゃとした頭がふっ切れた翌日、今日は1日なにもしないことに決めた。
十日町を離れて魚沼方面へ軽トラを走らせる。
トンネルを抜けて浦佐に下っていく坂道の両側には連なった祭りの提灯がぶら下がっていた。終わったばかりかまだ始まっていないのか。
虫の字のつく地名の交差点を曲がっていった先に西福寺に着く。
幕末の名匠石川雲蝶が寺内の装飾のほとんどを手がけたという仕事を学びにやって来た。茅葺きの開山堂は、雲蝶が39歳の時に手掛け5年の歳月をかけて完成させた最高傑作だ。
緻密細密の超絶技巧と、豪壮勇壮で大胆みごとに形を捉える力は当代随一の透かし彫りを生み出し、観る者はすべての欲を投げ捨て、掌を合わせこの眼前に迫った涅槃の世界に言葉を失うに違いない。
欄間、虹拝、木鼻、本尊、燭台などの彫刻と彩色、襖絵の描画、窓格子の細工、漆喰細工などなど、これが一人の人間の手による仕事というのだから、どこをどう切り取っても太刀打ちなんか出来やしない。ただただ圧倒する。
このような個の技、個の業こそが芸術と信じているので、弱気になっていたところへ大きなエネルギーと勇気をいただいた。同時に芸術祭に一つとして個の業を見るような作品がなかったので、興行的なアートの軽さ薄さ浅さを片側で思ってしまう。
道の駅ゆのたにまで来たところで、すこし逡巡してから奥只見湖方面へハンドルを切った。ある目的を抱えて。
大湯から栃尾又温泉に寄り道して国道352号で奥只見湖を目指す。この崖沿いの山道はどこまでも登り坂で、永遠に登り続ける不安に襲われる。振り返れば周囲の山の頂を見下ろしさらに辺境へ突き進んでいる。まだまだ知らない風景があるなあ何処まで行っちゃうんだろうと楽観的でもある。集落もなにも無いところにバス停があり、時刻表をのぞくとなんと白紙の時刻表。いくら行ってもまだ峠に辿り着かない。時折案内看板がたち、銀山平の文字。
銀山平。ギンザンダイラ。この文字と音を憶えている。
ようやく道の先が下っている。峠だ。ガソリンを気にしていたのでそこから先の下りはずっとニュートラルに入れて下った。
やがてロッジが点在するキャンプ場に辿り着く。その中にはいくつか旅館もあり、その中から自分の記憶の奥底の泥のなかで裏返っている不確かな宿の名を拾い上げて、おそらくここではなかろうかと特定し、O荘という宿の玄関を開けた。
何て伝えたらいいだろうかと考えながら大きな声で「ご免下さい」と繰り返した。
やがて奥から宿の主人が表れて俺はどぎまぎしながら唐突にこんなことを訊いた。
「突然失礼します。かつてこの宿に泊まった者の話を伺いにやって参りました。」
間をおかず「東京藝術大学の…」と言い終わらないうちに「はい」と宿の主人は答えた。
行き当たりばったりでやって来たが、間違いなくこの宿であった。
銀山平、師の大西博の口から聴いた覚えがあり、その文字面の美しさと濁音の続く音の響きが印象深く、その上、銀山平での大西さん自身の伝説の話を本人からよく聴かされていたので忘れなかった。
稲妻が湖面にいる自分の乗る舟の目の前を奔った話や、ヌシを釣り上げた話…。
その後、師の葬儀に手向けられた花環の中に、銀山平の文字と宿の名が書かれているのをなんとなく記憶していた。
O荘は師の定宿で、大西さんが学生の時分からここに泊まりに来ていたという。
「こことそこに大西さんの絵を掛けています」と宿の主人が指差す先に大きな油絵が2点、壁に掛かっている。玄関の正面壁には高橋由一の鮭のように、鱒が画面中央に描かれている絵があり、吹き抜けになっている玄関上方の壁、2階廊下からは正面で見える位置に人魚と魚の曼荼羅のような油絵が掛かっていた。
「2階に掛かっている絵は確か卒業制作作品だと訊いています」「人魚のモデルは裸にさせられた若い頃の私です」と作品の裏側も教えていただいた。
ここで釣りをしながら卒制を描いたのだろうか。その油絵はぬらぬらと人魚の周りが妖しく輝き放ち、人魚は幼子のように神秘性を湛えている。
フロントを通り過ぎた先の廊下の壁には湖で釣り上げた大きな魚を掲げた大西さんの稚気に溢れた笑顔の写真が掛かっている。大西さん、やって来ました。声を掛けたら返ってきそうな大きな写真に思わず話し掛けてしまう。
魚拓を見せていただいた。桜鱒の魚拓で日付は平成四年七月二十六日とある。大きな魚拓には現認者の名前が並び、体重体長釣人大西博の名。
「未だこの大西さんの記録は破られていません」と宿の主人は付け加えた。
ヌシを釣り上げた話は本当だった。さすが伝説の男だ。
ご主人に礼を告げ、O荘の宿名の入ったライターを記念に買いO荘を後にする。
銀山平からシルバーラインに入って奥只見湖へ向かう長く続くトンネル。雨でもないのに水滴が至る所に沁み出しビタビタに濡れきった暗いトンネル。手掘りのようなゴツゴツした側壁には何かを縁取る線とよくわからない数値が白ペンキで暗く長く続くトンネルのずっと先にまでベタベタに書かれている。ラスコーの洞窟壁画を目の当たりにしたことはないが、おそらくおなじくらいの感動だろうと思われた。
「大西さん、俺がんばるよ」
そんなワンダーなトンネルの中を走りながら独り言を言った。
小山真徳 展覧会情報
by Koyama Shintoku
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