おっ母と東京

2/14
9時50分東京駅に着く。朝食を食べていなかったので立ち食い蕎麦屋を探すが見当たらず、構内を歩き見渡すとおにぎり屋を発見し妻と入店する。
5分で食べ終え東海道新幹線の券売機で入場券を買う。しかしこの入場券の発券が未だに意味不明で、東京駅までの切符を券売機に求められICカードを入れるとなぜが千円入れてくれと求められた。入場券の140円を求められるのならわかるが、まだ駅から出場していないのに1000円求められる意味がわからない。
とにかく1000円で入場券を買って新幹線改札を抜け振り向いて妻を見ると、怪訝な顔でまだ券売機に対峙している。どうやら妻も同じ状況のようで不思議な顔をして改札を抜けて来た。


この意味不明な現象はひとまず置いといて、ひかり508号の到着ホームに走っていく。ひかり508号はすでに到着しており群衆の中、母さんを探す。
ホームに群がる人々の頭の向こうに毛皮のコートを着た母さんが立っていた。
携帯電話は持って来てはいるが、知らない土地で自分がどこに立って居るかわからないと思われる母さんとはぐれてしまうのは大変だったのですぐに見つけられてよかった。


母さんは、乃木坂のギャラリーで作品展示している妻の個展を観に遥々やって来てくれた。大手町から千代田線で乃木坂に向かうことを予定していた。
【東京都区内まで】と書かれた乗車券をおれに見せて「これで乃木坂まで行ける?」と訊いてきたので、「いや、地下鉄で行くからその乗車券はここまでだわ」というも「でも東京都区内までって書いてあるじゃん」と言われる。もったいないってことか、と察して原宿まで山手線に乗ることにする。


車内で「これ何十年も前に父さんに『これ着ろ』って貰ったやつ」と、はにかみながら着ている毛皮のコートをさすった。
男に混じってヨイトマケの世界で生きて来た母さんが持っているとは思われなかったミンクの毛皮のコートで、着ている姿など見たことがなかった。母さんと亡くなった父さんの関係を今この年で聞き想像するといいなあと思う。
原宿で千代田線にそのまま乗り換えてもいいが、物足りないと感じ思いつきで「時間あるし明治神宮に行ってみる?」と訊くと「うん」というので向かった。


東京に18年住んでいて明治神宮には一度だけ参拝した記憶がある。いつ誰と行ったのかは全く思い出せない。妻もほとんど同じような記憶で来たことがあるのかないのかすらわからないという。
風邪が流行っているので電車などの移動は常にマスクをしているが、第一の鳥居を潜ってからマスクを外し、大きな木々に囲まれた神域の空気を肺に送り込みながら参道を歩いた。
この明治神宮の森が何百年の歳月を重ねて森自身が再生を繰り返しているという、どこかで聞きかじったような情報を母さんと妻にした。第二の大鳥居を見てはこれ一木かねえとか、全国の奉納酒樽を見ては蓬莱泉はないかねえとかおしゃべりしながら進むと社殿が見えてきた。
赤銅色の銅板ぶきの屋根は赤く光放ち、色数少なくとても洗練されたデザインの社殿は研ぎ澄まされた美しさがある。この洗練された美しさはやはり日本の美しさだなと感じる。本殿を取り囲む門と塀の屋根も同じ銅板で、現在ふき直している箇所の正反対は色が黒ずんでいるので、ぐるぐる回って修復し続けているのではないかと想像した。
駅に戻る表参道の橋で托鉢僧が若者に話しかけられ場所を少し移動しお経を唱え始めた。
母さんが「あの人本物かねえ」というので「素人がああやってお金を恵んでもらってるの?」と聞き返すと「そうかもしれんに」と悪そうな笑顔をした。
千代田線で明治神宮から二駅の乃木坂で降車する。


昼前の蕎麦屋に入り、俺と妻は舞茸天ぶっかけ、母さんは店員さんの「女性には、なすあんかけそばが好まれています」に応えてオススメを注文した。
俺と妻の注文したものが先に届き、先に食べ始め半分以上食べても母さんの「なすあんかけそば」がこないので、「だいぶ丁寧に作ってるね」とからかうと「知らんけど」と厨房の方を見ている。
やってきた「なすあんかけそば」はおれの想像していたものと違っていた。おそらくは母さんにとっても。なすにだけあんかけがかかったかけそばを想像していたが、そばとなす全体にあんがかけてある、あんかけ焼そばのような体だった。店員さんは間違っていない。都会の女性には好まれること間違いない。しかしおっ母にはどうかなあ。
妻の前だったからかもしれないが、母さんは文句を言わず食べ終えた。


13時の開廊時間まで30分時間が空いたので、すぐ近くにある乃木邸と乃木神社に参拝する。乃木邸の庭の一角に自刃した時の血のついたものを埋葬した場所があり、3人その前で立ちすくむ。そこを下に降り公衆トイレのあるあたりの階段が入り組んだ感じが複雑で面白い。
トイレに寄って出て来た母さんは「変わったトイレだったに」と便器の説明をしてくれたのだが、立ち去る前にその変わった便器を確認するのをつい忘れていた。


白梅が咲いている。乃木神社も洗練された社殿で御簾には蝶がデザインされていた。明治神宮、乃木神社と今日みた社殿の感想を妻に話すと妻はそこに現人神特有のものを感じたという。なるほどとも思えた。
宝物館では乃木将軍の遺物が公開されていた。日清日露の陸軍総大将、現在は軍神として崇められているというくらいの乏しい知識しか持っていなかったので、歴史がやたら好きな母さんに知識を分けてもらう。
おれがお守りなどを見ている間、妻は絵馬掛けに掛けてある絵馬を見ていたと言って書かれていた願掛けの言葉を教えてくれた。

「乃木坂46の○○ちゃんが活躍しますように」
「乃木坂○○のイベントに当選しますように」
「乃木坂で○○さん(アイドルの名前)に会えますように」

明治天皇崩御に際し自刃殉死された乃木将軍はこの国の行く末を憂え嘆いているだろう。

ここに限らず至る所『聖地』などといいオタクの観光地にしたて、歴史や地霊を侮ると本当にこの国の精神性は終わるだろう。


13時、妻の個展を観に行く。画廊オーナーのTさんにご挨拶し、母さんは持参したお土産を差し上げていた。
一点一点じっくり母さんは観ていた。妻から作品の説明を受けて、ふんふんとかへえ〜とか感嘆していたが、やはりというか途中から「まさよしも行く末をよく考えて頑張ってください」と矛先がおれに終始していく。おれはちいさくなって出していただいた紅茶をすすった。
妻は画廊に残り、おれと母さんはご無礼して国立新美術館へ向かった。
美術館では今日から「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」が開催されている。


都内至る所の駅構内で同展覧会のポスターを見かけていたのだが、そのキャッチコピーが「絵画史上 最強の美少女(センター)」とルノワールの女の子の絵と共に煽っている。
戦慄が走るようなおぞましいルビだが、間違いではないこのママである。センターとはもちろん女の子アイドルグループのセンターのことをさすだろう。
神経を疑うようなキャッチコピーとは別に、おれは密かに母さんが展示されている絵にツンツン触ることを期待していた。
なんというかおすましした都会に獣を解き放ちたい気持ちとでもいうか、母さんの無自覚の反逆精神を見せつけてやりたいというか。
まあとにかく、眠れる獅子を引き連れて(毛皮のコートを着ていたのでまさに)近代西洋美術の巨匠中の巨匠の絵の並ぶ展示室に足を踏み入れた。


展示室の全ての作品の前には柵が設けられており、はやくもおれの淡い期待は破れた。
フランスハルス、クールベ、ドガ、ロートレック、マネ、モネ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、ピカソ…。すべてが名の知れた近代西洋画の巨星たち。
母さんのペースに合わせて、おれのつたない知識の補足説明しながら一緒に観ていく。個人のコレクションのためか知らない絵が多く発見があって楽しめる。
近代西洋画の流れが展示構成でよくわかり何と言ってもセザンヌの存在がひときわ目立って感じられる。絵画としての絵画が生まれたビックバンとしか言いようがない。
どこから誰からセザンヌに繋がっていくのかおれは不勉強で知らないが、セザンヌ以上に絵画の歴史を変えた絵描きはいないのではないか。
モネの睡蓮を最後に展示室は終わる。
「はい終わりかん。もう一回戻るかん」というので戻って付いていくと「まあ出るかん」と言ってやっぱり展覧会場を後にした。


乃木坂から千代田線に乗り二重橋前で降りる。
母さんの帰る新幹線の時間まで1時間半あるので見たいという皇居へ寄る。
「おっかさん、あれが二重橋だよ」と何かのセリフを言ったがおれにはわからなかった。
亡くなったお祖母さんが「皇居はすごいところだったに」と言っていたと母さんはいった。お祖母さんは皇居の掃除をさせていただいた時があったらしく、天皇陛下と皇后陛下に「ご苦労様です」と声をかけられて大変恐縮したということを母さんはお祖母さんの物真似をして言った。二重橋前駅からだだっ広い道をてくてく歩きながらそのことを教えてくれた。
二重橋前にいるのは中国人、韓国人観光客だらけだった。日本人は警備兵と警察官、そしてお堀を走るランナーだけだったのではないか。
それもどういうことなのかなあと俺は考えていた。


「母さん写真撮るよ」と言って二重橋を背景に俺は持って来た二眼レフカメラを構えた。
四角いファインダーの中で体の前で手を重ね体を少し斜にした母さんが見えた。ファインダーに自撮り棒を持った外国人観光客がフレームインすると、それを避けるようにスススと母さんが動いている。それが妙に可愛らしく思えた。
行幸通りを東京駅に向かい東京駅の駅舎の前でも写真を撮った。


東京駅構内でうちにお土産を買っていくといい東京バナナを2箱買っていた。
本日2度目の入場券を購入する。普通に140円で入場券が購入できた。
今朝と購入手続きが同じなだけに余計わけがわからなかった。
待合のベンチで新幹線の時間を待ちながら母さんは「なんとか芽が出るよう身体に気を付けて頑張りん」と何度も何度も言った。

ひかりの自由席に座るために15分前にはホームに並び、入構してきた新幹線に俺も一緒に乗りこんで発車5分前の車内でもう少し話をする。
1分前になり車内からホームに出る。
窓越しで、ふたり視線を外した先の焦点が合っている。
発車ベルの鳴る中、母さんに向かって「ありがとう」と言った。
聞き取れなかったようで「は?」という顔をしたがもう一度いうとわかったわかったと頷いた。
また視線を外したが、眼の端では母さんがじっと見ていると気付いていた。

動き出した新幹線の窓の中の母さんに手を振り見送った。



去っていったホーム、意味もなく一番端の乗り換え階段口まで歩きながら考え事をした。
「いつまでたっても一人前にならないダメな俺だな」と家路に帰る電車で責め続けていた。
生きてるうちにいい目を見せてあげたい。いつの頃からか作品制作の原動力がそのことになっている。












by koyamamasayoshi | 2018-02-14 23:44 | 日記


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