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2016/8/19 愛知帰省旅③

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実家の朝、目覚めると、点けっぱなしのテレビから吉田沙保里選手の決勝戦が、たったいま始まった所だった。蒲団の上に座って、見詰めていると、となりで寝ていた妻も起き上がり、アー!とかウー!とか言って応援している。
負けて、マットに顔を埋めて泣く姿にもらい泣きしそうになった。顔を見なかったが、妻はきっと泣いてるだろうと思った。


朝の陽がまだ優しいうちに、犬を散歩に連れて行った。帰って来て墓参りに行ったが、肌が隠れている面積がタンクトップ、短パン部分しかなく、蚊に滅多メタに刺された。
母に豊橋駅まで送って貰うついでに、母方の墓に手を合わせに行く。蚊はいないが、直射日光にあてられた線香は、ぐったりしおれている。駅に着き、あいちトリエンナーレ豊橋地区の開場11時まで喫茶店で過ごす。


高校の時に名古屋の予備校に通うまで、豊橋が最も都会だった。三河一宮駅から飯田線で6、7駅の都会。りんごほっぺのおにぎり顔少年だった俺は、母から買ってもらった服か、兄のお下がりを着て出掛けたが、そこで何をして遊んでいたのかあまり思い出せない。
ある時、駅前ロータリーのベンチで座る見知らぬお婆さんに、持っていたガムをあげると、一緒にご飯を食べてくれないかとの誘いを受けた。蕎麦屋に入って、俺が遠慮なくもりもりと食べている姿を、お婆さんは何も食べず、ニコニコと笑って見ていた。「自分の孫と一緒に食事している気持ちにさせてくれてありがとう」というような内容の言葉をもらった。


そんな事を思い出し、喫茶店からお婆さんと出会ったベンチを眺めると、日傘を差した女性が目の前を通り過ぎてゆく。背中の汗ばんだ白ブラウスからブラジャーが透け、膝までの紫のスカートの美しいラインが歩くたびに、左右の尻の肉が交互に持ち上がっている。何だか長いこと山に居るので、そういうところばかりに目がいく。


渥美線乗り口近くに出来た「穂の国とよはし芸術劇場PLAT」に行く。
ここは芸術祭の作品が無料で観ることが出来る。母は数日前ここを通りかかった時、大きな壷があったと言っていた。外からでも見えるそれは大巻伸嗣の作品だった。ここは舞台芸術の施設で、館内に入るとガラス張りの廊下から稽古場でストレッチをしている劇団員の姿が見えた。その先のうなぎの寝床のようなコンクリ打ちっぱなしのスペースに、鳥の絵のドローイング作品があった気がするがあまり憶えていない。


そこから歩いて水上ビルの作品を観に行く。
ここは俺が学生の頃から気になっていた建物で、いつかなにか面白いことが出来たらと想像していたところだ。名の通り、3階建ての建物が水路の上にその流れに沿って長く東西に伸びている。道路に面した一階が、花火問屋、菓子問屋、喫茶店、飲み屋などが入った店舗で、2階と3階は居住スペースになっている。


ここで最初に観た作品が、ラウリ・リマというブラジル人女性の作品だった。これが良かった。
入場口は二枚の金網扉を通り抜けて行くのだが、その扉の間で入場案内のスタッフが、ドアボーイのように来場者を1人づつ中へいざない、1つ目の扉を閉めてから2枚目を開ける。つまり開放厳禁というわけだ。なんだかめんどくさい作品だなと思ったが、後で訳を知ることになる。
2枚目の金網扉を通り、壁際にある狭くて小さな階段をのぼって、2階、3階、屋上にと作品が続いているようだ。2階へ上る時、階段手前の隅っこに、砂糖菓子のような小さな鳥の置物が置いてあるようだった。よくよく見れば生きた小鳥だ。
2階は狭い和室で、大量の円柱棒を組んで出来た巣が部屋の至る所にある。
そこで多種の小鳥が、その巣にとまって居たりする。畳の端の帯を留める糸をついばみ引っぱっていたり、2、3羽で顔を向かい合わせに会話していたり、一匹ぽっちで部屋の隅にちょこんとしてるもの、壁紙を破くもの、わがままに飛び交う小鳥達は、人を警戒することなく生活をしている。かなりの数いるが喧しくない。耳に心地よくピッピキ鳴いている。
ちょうどボランティアスタッフの女の子が、水と餌の補充をしているところだった。


俺は何度も「これいいわあ」と妻に繰り返し言った。それ以上、作品に対しての言葉が思い付かなかった。昨年、中之条ビエンナーレで公開した自身の作品「逃走の巣」は鳥がテーマで、当初頭の中でボンヤリ想像して、置き去りのまま忘れ去った事が、目の前に広がっている気分がした。
自分の放ったブーメランの軌跡に気を取られていたら、まるで違う、別角度から、他のブーメランが後頭部を直撃したような衝撃。
生身の鳥を使う発想は、けっして俺には生まれなかったに違いない。
屋上に上がると多角形のドーム型金網に、小鳥が数羽、頭を下にしがみついていた。3階、2階へと降り、またしばらく、鳥を観察した。なんだかずっと観ていられる。


入口扉を二重にしていた訳は、小鳥が何処かへ飛んでかない為の工夫だった。俺はその扉を開け閉めする係の男性が気になった。正確に1枚閉めたら、2枚目を開けている。真面目でとても責任感みなぎる姿は好印象だった。田舎の街に突然、芸術がやって来て張り切っているというより、その男性を見ると、芸術の為というより小鳥達の為にここに居るという感じがした。
受付をしている女性に「トリエンナーレの作品の中で一番いい作品でした」と、"持ち場"に居る男性にも聞こえる声で感想を言った。
豊橋会場の他の作品をまだ観ていないし、ここから電車で30分くらいの岡崎会場の作品は、結局観ず終いになるが、この作品がダントツいいと直感した。普段そんな風に話し掛けないけれども、先の男性を労う為にも言いたくなった。


水上ビルは他に、セメントの薄茶色い紙袋を本仕立てに綴じ、色々な広告紙をスクラップ貼りしたものが簡易テーブルに沢山置かれた作品があった。
その中に、乳頭の形がはっきり浮き立つピッチピッチのTシャツを着た女性の広告紙が貼ってある一冊をペラペラめくって観た。外国の食品か何かの派手な包みが貼り込められている。開いたページのままに、続いて別の一冊を探った。
作家本人から、どのページを表にして置いてくれと指示があったのだろうか、女性スタッフは、先ほどのピチT乳ポッチ女のページに戻していた。
なんだかそこに、鳥の男性と同じ責任感、"持ち場"感を感じた。女性スタッフにというより、紙の中の乳首ポッコン女に対して感じた。ひょっとして究極、乳首だけに対してかも。
「わたしここでこうしてる」という"持ち場"感を。


水上ビルの花火問屋をのぞき、何か使えそうなブツを、妻と物色した。
露店のおもちゃを沢山取り揃えているが、ああいった世界は回転が速いので、絵柄は流行のキャラクターで大して手が伸びない。なんとか埋もれた中から掘り出す。妻は光るゴムの白鳥などを買っていた。俺はチューリップ型のライトと、ふにゃふにゃの光る棒みたいなのを買った。
キャロンという喫茶店に入る。
サラリーマン風男性と中年女性が常連のように、奥でくつろいでいる。母くらいの年齢のおばちゃん店主が一人、カウンターの向こうと客席とを行き来している。
俺はミルクセーキを注文した。隣の席を見るとインベーダーゲーム機のようなテーブルが置いてあり、現役ではなさそうだが、豊橋の速度が見えてくるようだった。
孫だろうか、黒ズボン、白カッターシャツの少年がカウンター席に座り、何処かへ出掛ける前の時間を潰している。
おばちゃん店主は「宿題すんだだか?」とか、「コーヒー、飲めるようになっただか?」とか、テレビに映る試合後の吉田沙保里選手の映像を見て「そんなに泣かんでもええのにねぇ」という話を三河弁で話し掛けていたが、うんとか、ああとか、つれない孫。
何だかうちの母を重ねて見て、昨日もう少し会話した方が良かったなと後悔した気持ちになった。


駅前大通りの「はざまビル」の作品に移る。
ビル一階、薄暗いコンクリ壁の空間には、特撮にみる、派手なビビットカラーで角張ったフォルムの一人乗り有人飛行機が、床に敷き詰められた砂の上に着陸している。機体を廻りこむと、おそらくモルタルで作られた男女の原人が寄り添って、青く発光する未来機を凝視している。解説を読まなかったので、勝手に未来と過去のトラベルを想像した。何故かディスコ風でもある。
この機体は、作家が作ったというより、何処かから持ち込まれたもののような気がした。何処かのビルの上か、一昔前のゲームセンターで、誰も知らない未来を象徴していたような空気を、物体は醸していたからだ。


隣のビルの「開発ビル」の作品に移る。
入口、ガラス両扉の上に「名豊ミュージック」と表記されたビル。展示作家人数から考えれば、豊橋会場で一番力を入れているところだと思われた。一旦エレベーターで10階に上がり、作品を巡りながら階段を下りる。
10Fは、現役かどうか分からないが、劇場空間で石田尚志という日本人作家が展示していた。エントランス、小ホール、楽屋、廊下、大ホールと作品を巡る誘導が巧妙で、離れた各空間が分断されること無く、切れ目なくたどって行ける。
この先とここが繋がり、さっきのところがここで繋がる。
インスタレーション作品は写真映え(フォトジェニック。…嫌な言葉だな。)する為に、ある視点を重点的に見栄えを良くすると誰かが言っていたが、この作品は全方位、楽しめた。
鳥の作品ですでに感じていたが、この時点で豊橋地区の作品はあたりだと確信していた。
次階の作品への順路は、黄色と赤の派手な階段や、学生塾などのテナントの側を通り抜けながらのなかなか楽しい作品と作品とをつなぐ、間(ま)だった。


小林耕平という日本人作家の作品は、「東海道中膝栗毛」をモチーフに、作者とその友人?の二人が、やじきたになって色んな場所で色んなことをやっている姿を、複数のプロジェクターで投影している。
その映像の近くに映像の中で作った立体作品と、天井から垂らした布の作品解説文が一点一点あるのだけど、いっこうに入ってこない。とにかくやかましいのだ。大音量という意味でなく、説明過多で、すっと入ってこない。映像も無編集なのだろうか、だらだらと試行錯誤しながら何をか、やっている為、見ている方としてはどうでも良くなっちゃう。
説明説明で、何だかレポートを見せられている気分になってしまった。
同フロア一枚の壁を隔てた隣の産業廃棄物を載せたトラックがシルクロードを走る映像作品は、対照的に説明も無く、字幕も無く、静かに、そして哀しい、こころを揺さぶられる、極めて高純度の映像作品だった。
朝、喫茶店で時間を持て余していた時、妻はガイドブックを手にして、「これを観てみたい」と言った。


産業廃棄物をプレス機で圧縮し、それをビニール梱包で嫌ってくらいグルグル巻きにし、4台の10tトラックに器用に積み上げ、シルクロードの乾いた道を土埃を舞い上げながら走る。寂しい村の端にある橋では、欄干にもたれて、青と白の体操服を着た少女が誰かを待っている。
トラックは道の途中で停まる。トラックの傍らで、くたびれた服装の口髭を生やした中東男性がアコーディオンを弾き、謡い上げる。謡う歌は旅人の歌だろうか。とてもかなしい。俺は涙が溢れそうだった。やがてトラックはまた乾いた荒野を走り去っていく。その後を、少年の乗った馬が追いかけていった。10分もない映像。
俺は隣でずっと泣いていた妻の顔を見ずに「普遍とはこういうことだ」と妻に、そして自分自身にむけて言った。心と体が泣いて、フルフルとした余韻が残る。


その次に観た遠洋漁業の厳しい環境を様々な角度から撮影した作品も、全く良かった。それは15分くらい観ていただろうか。突然「酔った」といって妻は暗室から先に表に出て行った。俺はもう少し観ていた。
表で妻はぐったりした顔をしていたが、久しぶりに美術作品で泣いたと聞き、連れて来て良かったと思った。それでもいつか、見る側ではなく見られる側として、故郷でやりたいと強く感じた。


その後、路面電車に乗り、数日前に電話を入れていた、かつて妓楼であり旅館だった「新宝光」へ取材に向かい、14時47分のひかりで東京へ帰った。
by koyamamasayoshi | 2016-09-04 22:41 | 日記


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