山

2015年6月13日
3週間、群馬県山中での滞在制作を一時切り上げ東京に帰ってきた。乗り継ぎが悪く列車待ち時間を含め、家に辿り着いた時には7時間弱掛かっていた。
地元の人に会う事は会い交流するが、山の峠の今はもう使われなくなった民宿で、日中、独り作業を進めていると段々と修験者のような仙人のような、体の一部が少しずつ、霞がかってくるような気分になる。またその逆で山男のように体毛が激しく成長し全身、毛で埋もれてしまう気分にもなる。作品の性質上、こういう環境に適していると思うので問題はない。長時間の鈍行列車にはいろんな乗客がいた。山に籠った男の性(さが)だろうか、乗客の若い女性や女子高生の生足をじっと見てしまった。軽蔑されても仕様がない。精進落しのつもりで見させていただいた。土曜日の梅雨の晴れ間という事もあり、ハイキング帰りの養護施設の方々、大きいリュックを背負った課外授業の小学生の集団と乗り合わせになった。
家に帰り着き久しぶりに妻の料理を食べた。
鈍行列車の中、昔の事を思い出していた。「人から作品を認めてなんて貰わなくいいし、好き勝手制作したければ、山奥でやってろよ」と言っていた男がいた。細かいセリフは違うかもしれないが凡そ、そのようなニュアンスだった。もちろん比喩で言っていたのだと思うが、俺はその言葉に引っ掛かりその当時から嫌いな言い回しだと思った。安々と「山奥」という単語を使い、そこに暮らし、制作している人間を皮肉の種にしている感覚がまず受け付けなかった。そして山奥という「距離」も彼の中では「現代美術」とかけ離れていたはずだ。「現代美術」というレンジの短い狭い範囲の中、訳知り顔で偉そうにやってろよと俺は心でつぶやいたと思う。そしてその暁には俺は遠く山奥でも谷底でも離島からでも、垢とフケと涙と土塊と土地の魂混ぜこぜ固め、恨み節を唱えた弾丸を、君の好きな「現代美術」にぶち込んでやるよとも、青い若輩者の心の内でつぶやいたかもしれない。「距離」も引っ掛かったのだ。つまりどんな遠くでも中央に長距離弾をぶち込めると、その時俺は思っていた。別に中央ばかりではないのだが。
今回、山の中で滞在制作して、ふとその時の事を思い出した。
by koyamamasayoshi
| 2015-06-14 03:09
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